あけまして、おめでとうございます。
昨年も大変お世話になりました。
今年もヨロシクお願いします。
今年の初日の出です。
初日の出を観続けてかれこれ11年がたちましたが、私には今までで一番美しい初日の出でした。
それで気づいたのは、過去10年間、心から美しいと感じていなかった私でした。モチロン過去には雲に隠れてしまった日の出とかもあったんだけど。
でもね、天候条件とかの問題だけじゃないんだぞって思います。
日の出を見ていて心に湧いた言葉があります。
「自分の中に軸を持て」
『自分の中に毒を持て』のパクリみたいだなあと思いましたが
、、、でもね、目前の美しいものを本当に美しいと感じるには、私自身に美しいと感じ、受け入れるだけの「軸」ができるまで観つづけないとだったんじゃないかなって、何だか感じます。
だから、11年間、初日の出をただ、観続けて、よかったなあと思います。
今年は私が舞踏と出会って11年目でもあります。
もしかしたら、日の出を美しいと感じた私は、今年初めて舞踏の素晴らしさを感じることがあるのかもしれません。そう思うとドキドキワクワクします。
11年間、舞踏を続けてよかったな~、って思える一年になるといいなあと、心から思います。
3月のソロ公演は、ピアノを清水一登さんにもご出演をお受けいただきました。有難いことだと、心から思います。頂いた機会を大切に、丁寧に舞台を作って行きたいと思います。
そんなこんなでまとまりのないご挨拶になりましたが。。。今年もどうぞよろしくお願いいたします
最後に、、、、パラパラっとめくったら、こんなことが書いてあり素敵でしたので、お年賀代わりに載せさせていただきます。
『遊ぶなら遊べばよい。無目的の、無償の行為はすばらしい。ちょうど子どもたちが、大人がハラハラするような遊びを嬉々として楽しんでやっているように。
それは遊びというものが人間にとって自然な本能だからである。人間は本質的に、ホモ・ルーデンスなのだから。
ただ大人になるに従って、多くの人がその自然さ、無邪気さを失ってくる。それを再獲得するきっかけとして、つまり自分が本当に生きることの跳び板として、いわば「冒険」というお遊びがあるのなら、あって当然いいだろう。
ただ、それを通して、自分の運命に責任を持つか、持たないかだ。
甘えた「冒険」ではなく、恰好をつけた変わったことをやってみるのではなく、日常生活の中で、この社会のどうしようもないシステムの中にがんじがらめにされ、まき込まれながら、しかし最後まで闘う。それこそ、危機にみちた人生だ。何でもないことに筋を通すことの方が、カッコいい冒険よりもはるかにむずかしいし、怖ろしい遊びなのだ。このようにして人生がすべて冒険なら、あえてある時点において、自分の特殊な状況において自己満足する必要はないだろう。朝起きてから寝るまで、瞬間瞬間の闘い。(少し省略)
人生、即、絶望的な闘いなのである。それは絶え間ない、永遠の冒険だといってもいい。
しかしそれならば、今さら「冒険」などと、カッコいい安易な言葉を使う必要はないともいえる。
人間は、必ずしも成功することが喜びであり大事なのではない。闘って、後にくずれる。その絶望と憤りの中に、強烈な人生が彩られることもある。』
(岡本太郎著『自分の中に毒を持て』)





