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傲慢と礼儀

舞台では
表現者は
ある程度の傲慢さが必要だと
私は思います。

でも、舞台裏では
舞台で必要とされる
その傲慢さが
許されない。

私が最近、
よくぶち当たる壁であり、
日舞や書道に触れてから、
更に身に染みたことです。

現代の日本にて
アーティストには
日舞の方や、書家や、茶人などなどが費やしてきたような
所作、しきたりのようなものが
ない。

そんなものは
必要ない。
無駄だ。
中身さえ良ければ
よい。

と思っているキライはなかったのかなと、
わが身を振り返ってみて感じます。

もちろん、もともと礼儀正しく
人間性に優れた表現者は
別に関係ないことなのだと思いますが・・・。

表現者にはそうではない
無礼で
優れて人間性に欠けた
人も
含まれます。

私はそっちサイドの人ですから 叫ぶ
なかなか苦労します。。

代々脈々と受け継がれてきた
所作やしきたり
礼儀正しさは、
人前で表現したがる
表現者ゆえの
傲慢者の性を諌め、
人として
よりよく生きるように
はなむけ
仕向けてゆく
仕掛けでもあったりしなかったのかしらん?
と、最近の我を振り返ってみて
思います。

礼儀がなくても
パフォーマンスだけよければ
それでいい。

それでは
やがて人は、
勢いがなくなって
老いたときに
通用しない。

だれも支えてくれないもの。
そんなんじゃ。

老いたときに
真の花を咲かせる境地にいたる・・・
それは
己の傲慢さと葛藤し続け
やがて謙虚さを身につけ
自分を乗り越えた時なんだよ
と、
伝統芸能の型や礼儀は
表現者に繰り返し、繰り返し
声にならない声を
言葉にならない言葉を
刷り込み続けきたのでしょうか?

そんな風に
最近は勝手に捉えていたりします。

この認識、
間違ってるかもしれないけどね あっかんべー

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コメント (2)


tingtong:

日本では伝統的に硬派=カタチから入る、というのが修行の定石だったけど、最近はキリスト教圏式の軟派=キモチから入る、というアプローチが優勢になってきているようです。

カタチに背を向けることで失われたものに気がついてから、また新しいキモチでカタチに向かうのもありなんじゃなかろか。

大きく枝を広げる傲慢は、深く根を張る謙虚の謂いかもしれない。よく、カタチにはまる事が「自分」であることを押し殺すことであるかのように思う人がいるけれど、それは自分で自分というものをカタチでしか見ていないということのようにも思われます。

ああ、またお腹が空いてきた・・・



sawaka:

>それは自分で自分というものをカタチでしか見ていないということのようにも

なるほど~

私もどっちかというと、カタチになかなかはまれないので、ここ気をつけないとね☆

ありがとうございます~


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