昨夜
遥か昔の
人の書を
模写しました。
そして
思うように書けない中で
気づいたんだけど、
この世界に生まれでた
生命や行為や形に対して
他人の権威的な評価や
極めて常識的な価値判断を
よりどころにして
まるで自分が評価したかのように
判断し反応し済まして
安心して仕舞う人は
いなかったかしら?
と。
そして、
仕舞えない
許容オーバーなものには
黙殺
もしくは
批判
もしくは
攻撃
したりして
ふたをして仕舞った人は
いなかったかしら?
と。
もし
そんな人が
いたとしたら、
そんな心がまえのままで
存在のよろこびを
ホントに感じとれてきたのかしら?
存在の苦しみを
ホントに感じとれてきたのかしら?
と。
この世から
いつか
いなくなる存在。
その一生の中の
今
この瞬間に
この世界に生まれでた
いと愛しむべき
生命や行為や形や思想を
どれだけ鋭く深く
そして柔らかなスポンジのような
心がまえで
感じ
受け入れて
来られたのかしら?
と。
この世界に
産み出され
もしくは
生まれ出る
ピュアなものを
愚かな
道化師と捉えて
見下して
仕舞ったり
しなかったかしら?
と。
そう気づいた時、
私は
ルオーが描いた
ピエロの目に
凄まれた
気がして
仕舞いました。
私の勘違い
なのかな?
勘違いですよ。
と、
断言していただける方が
いるのであれば
嬉しいけど。
そんな人は
いないんじゃないかな。
と、
思います。
なぜならば、
そうのような人に
なり下がったことのある
私を
既に
知っているからです…。
他
に向けて
悪意と善意が
傲慢と謙虚さが
あいまみれて
葛藤しながら
生きている存在
それが
私の
ある一面
なんだと思います…。





