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2008年03月 アーカイブ

2008年03月30日

ご感想ありがとうございました。

公演から一週間がたちました。

色々なご感想をいただき、本当にありがとうございました。

ああいう、痛い作品って、やっぱり受け入れられないんじゃないかなと本当は思っていました。やることで、私の人格とか私自身がそうなんだと思われてお仕舞いなのかもしれないなあと思っていました。
確かにそういうご感想も頂いてしまったのだけど。
でも、今回はうまくは行かなかったとしても、私は私自身の世界を展開するという狭い自己表現をするだけじゃなくって、たくさんの方々と共に日々生活をし、ひっかかってしまったこと、感じたり思ったことを良い形に昇華してゆけるような舞台を作りたいな、そして『媒体』として、舞台をご覧頂く方々と繋がることができる演じ手になりたいなと、思っています。が、それって大きな勘違いなのかもしれないとも、今は矛盾した思いもあります。。

今回の公演のモチーフの一つは、今を生きている私の世代の女性でした。ネイルをしたり、お洒落をたくさんして、皆同じ顔に見えちゃうかもしれないけど、でもそんな女性の内面を描き出せないかな、という思いがありました。テーマも平和という大それたものよりも、身近な他者との調和でした。分り安すぎて深みがなかったとのご指摘も頂いてしまい、そのとおりだとも思います。
でも、公演にお越しいただいた、OLの生活をしている女性の方からは、『鏡を見ているようだった、自分を見ているようだった』という感想を頂きました。泣きながら帰ってくれた子もいました。『女性じゃなければ、分らない』部分も、あったのかもしれないというようなご感想も頂きましたが、私としては、何かしら共感をしていただいて、日ごろの生活にプラスになるようお役が立てていたとしたら、今回の公演をやってみた甲斐はあったなかなと、ありがたくご感想を受け止めています。

 とはいえ、私の力が及ばなかったところが、日が立つに連れてたくさん見えてきていています。
これからしばらく日を追うごとにもっともっと色々なことが見えてきて、打撃を喰らうような気づきもきっとあるのだと思います。
それでも、ていねいに心に受け止めて、成長しながら前に進んでゆきたいと思います。

桜も、もう盛りを越えようとしていますね。
新年を迎えてから、あっという間に春が来てしまったなあ・・・という気持ちです。

 

 

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2008年03月24日

有難うございました

ソロ公演『月の下、泥花の咲く頃』にご来場いただいた皆様に、心から感謝いたします。 
お陰様で3回公演共に、満員御礼となりました。本当に、有難うございます。

しかし、奇麗事を言うのは嫌いですので、、、今日は自分自身に対して、とても悔しい思いをしました。

舞台の上では、結局、自分との闘いですが、もっともっともっと、感じるままに、自分の世界をぐーんとぐーんと大きく展開できるように、更に踊りこみたいなっと思います。

でも、それでも、夢のような楽しいひと時でした☆

もしかしたら、うたた寝に見た、春の夢だったのかしら?って今になると思ってしまいます。。。

今回の舞台のために、お力をいただいたスタッフの皆様に、本当に、有難うございました!! 

そして、私の試みを快くお受けくださった深町さん、清水さん、MITUKOさんに、心から感謝です。

終わってしまったのが本当に残念です・・・。

また、新しい舞台、もっと面白い舞台を作り上げられるよう、歩き出そうとワクワクしています ~  

今後とも、どうぞ宜しくお願いいたします 照れる

 

 

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2008年03月23日

演れども演れども☆

一期一会の舞台、無事終えることが出来ました。 

お時間を割いてお越しいただいた皆様に、演奏いただいた深町さんとMITUKOさんに、そしてスタッフの皆様に、本当にありがとうございました。

今日は、それしかいえることがありません。
明日もまたダンスして、皆様により楽しんでいただくことで、お返しすることしかないなって、心から思います。

今日の公演の模様写真です。

演れども演れども、明日はもっともっと身も心も踊たいなと、思います☆

 

 

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2008年03月22日

言葉の消える世界

そんなマジカルな世界が、やっぱり、音楽やダンスの世界だと思います。

『ドゥ・シュプラッへ・ヴォ・シュプラッへ・ユンデン』

と、今日まで呪文のように心に唱えながら、たくさんの言葉を重ねてきましたが、まだまだ言葉が湧いて出てきてしまいます。。。。

でも、明日は無言で、語り始めることを始めたいと思います☆

 私たちの言葉がようやく途絶えて、もう何も表現できなくなった瞬間が、明日からの公演で起こることをとても楽しみにしてます☆

ここまで支えてきてくださった方々に・・・、心から感謝してます☆

そして、明日初めてお会いする方々に・・・、お会いするのを楽しみにしてます☆☆☆

ダンスに織り込んだ、たくさんの思いや伝えたいことを、感じ取っていただけたら・・・とても嬉しく思います 照れる

ご来場、心よりお待ち申し上げております キス

 

 

△Top

2008年03月19日

BIG WAVE

『音にうるさい人』

音楽に詳しい方曰く、私はそう、らしいです クール

でも、音を聴いてもあまりそんなに音の良し悪しが良く分ってない方だと思うのだけど。。

でも、踊るとね、音によって全然ダンスが変わってくるのは確かだと感じます。

音色の違いに、びびっと来たのは、クラウディオ・アラウとの出会いでした。
10年近く前、たまたま家にあった、アラウの弾くショパンのノクターン2番を聴いて、あまりにもズドーンと心身に響き、染み込んで来るので、驚きました。

 ノクターンの2番、お稽古曲、大衆的な曲なんだと思います。

でも、アラウの2番は、ゲイジュツです。

 夜なのに明るい・・・。
明日には朝が必ず来るんだな、というワクワクした気持ちにさせられるほど、音がキラキラしていていて、とても惹きつけられてしまいました。

なんだか、美の洗礼を受けた感じ、でした☆

そして、アラウのノクターンで踊ろうとしたら、大失敗しました。

アラウの演奏力に、私のダンス力がそぐわなかったのでした。 (ちなみに、アラウ75歳の演奏です。。)

いらい、アラウのノクターンは、お蔵入りになってました。

そしておととし、とても和やかな会場で、CDで一曲踊る機会を頂いた時に、久々にふと蔵から出したアラウのノクターン2番でで踊ってみたら、踊りこなせるようになっていました。と思います。

踊るのに、長い月日の努力が必要な音楽って、あるんだなということを、知りました。

 

今回の公演は、すべて生演奏です。しかも、スピーカーは使いません。CDよりも、生演奏はパワーがあります。

しかも、皆さま、素晴らしいミュージシャンです。 

彼らの音楽に、どれだけ私の体がイーブンでいられるか?拮抗できるのか?ハーモニーが生まれるのか?

非常に試されると思います。

音楽の大津波に押し流されることなく、しっかりサーフィンしたいと思います。

 

そして。。ご来場の皆様への記念品も完成です♪

幸せなひと時になりますようにと、ホントに心から思います。

今日は春の前の、恵みの雨ですね♪
雨音に優しく包まれている気分です 照れる

 

 

 

△Top

○満月完成○

今回の公演の美術を手がけていただいている、松尾宇人さん力作の泥の月の写真が送られてきました~

前回の京都での(試し)公演で使った月よりもサイズも迫力もUPしました~。 

泥の月が欲しいなあ♪と言う、ふとした私の思いつきにつきあっていただいて、そして実現していただけて感謝感激です。

 泥の月がなければ、今回の舞台は始まらなかったです。

ホントに、ありがとうございます。。

この月、輝くんですよ~。

ぜひ会場にてご鑑賞くださいませ。

ちょうど22日は外にも満月。

旧暦では春分の日だそうですが、どうやら都内の桜も咲き始めようとしてるみたいですね 照れる

もしかしたら、桜は咲くかもって去年から予想してたのだけど、満月と春分は狙ってなかったので、とてもワクワクです。 

当日が楽しみです☆

 

 

 

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2008年03月18日

自転車専用道路

ずいぶん前に自転車のベルが壊れてから、そのままです。

 だから、前に人がいても、よけるか、徐行するかになります。

ベルがあった時は、ちゃりんちゃりん鳴らしてイライラして人をよけさせていたのだけど、

 ベルがなくなると、自分が人をよけよう、人の歩くペースにあわせようという気持ちになってしまうのだから、

不思議です。

おばあちゃんがゆっくり目の前を歩いていると、ああこれはスピードを出してはいけないな、驚かせちゃいけないなって、ゆっくり徐行する気持ちに自然となります。

 ほんとに急いでる時は『すみません!』と声をだしてよけてもらえば済むことだしね。(もし、これがはずかしいだなんて思われたとしたら、逆にそっちがおかしいんじゃないかなって私は思います。他人に声もだせないの?そんなん恥ずかしいの?めんどくさいの?ってね。)

そんなこんなで気づいたんだけど、ホントはベルなんて便利なものは、なくても良かったんじゃない?ってね。

 ベルがないことで、人をよけさせるよりも自分がよけるしかなくなる、そうすることで実は他人をいたわる優しい気持ちが生まれているんじゃないかって私は実感してます。

 

それにしても、日本は自転車専用の道がないですね。

ベルをじゃらんじゃらん鳴らしていたときは、なんでないんだ、日本は遅れてるなあと思ったんだけどね、

でも今は、なんだかこのままでいいんじゃないかって思います。

たぶん、元々日本人てのは、人とすれ違うこと、ちょっと不便なことって、全く気にしてなかったのじゃないかな?だから、自転車専用道路を作ろうなんていう合理的効率的な考えを持ち合わせていないんじゃないかなって、最近は思うようになりました。

自転車のベルをはずす、ってのはホントは非常識なんだろうけどね、でもね、本当は、はずすことで蘇る和の心かなってて何だか最近思えてしまいます 笑う

 

 

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2008年03月16日

満員御礼

22日公演の回が、満席となりました~。
どうも、本当にありがとうございます。  笑う

22日の回は、構成は一応ありますが、完全即興性がとても強い公演になるのではないかと思います。(と遠慮がちに断言しないでおきます。。。)
この日にしか出来ないことを、やってしまいます。
残り席が立ち見のみとなってしまって、申し訳ありませんが、是非、お立会い頂ければ幸いです。 
ちょうど、満月の夜とのこと。桜ももそろそろ咲きそうな時季ですので、お帰りも春を十分満喫していただければ、更に嬉しく思います。 

23日の回は、完全即興の箇所もありますが、メインは違った意味の即興性、今回の公演のテーマでもある、ある曲を大幅にアレンジしたパフォーマンスとなります。
決められた枠の中で、じっくり深く、踊りたいと、思います。
なおマチネは、昼らしく、かわいらしく 叫ぶ 、明るい衣装の予定(未定)です 照れる

ご来場、心よりお待ちしております 笑う

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★別天地☆

ふと今日目に飛び込んできた言葉です。 

天国でも地上でもない所・・・

で、思い出す体験が二つあります。

一つは、以前、スズメバチにしてやられた体験です。
越後妻有トリエンナーレに参加したときに、余興で撮った神社境内でのダンス中、鳥居の目の前に到着するや否や、スズメバチがぶーんと近づいてきて、クビの周りをブンブング~ルグル回られてしまいました。

クビに突きつけられたナイフがグルグル回ってる、正にそんな状況でした。
これ以上相手を刺激しないように、私は平気な振りして踊り続けていたのだけど、でも内心は、 永遠にスズメバチは私の首の周りを回り続け、永遠に私は踊り続けなくちゃいけないのでは・・・という気分に囚われ、気が遠くなりました。

蜂の一撃で、私は死ぬかもしれない、正に私はまな板の鯉状態 叫ぶ という状況に突然追い込まれた驚きと不甲斐なさは、何とも表現しがたいものでした。

でも、同時に、生と死の間は、どの生命にも見えないカーテンのように永遠に存在するんだとリアルに感じました。 人であれ植物であれ動物であれ何であれ、生命であれば、このカーテンの中では、命の価値や高等だとか下等だとか、そんなもんは全く関係なく、平等に、まな板の鯉状態に陥るんだ、と感じました。

そんなこんなで別天地の中で気が遠くなりながらも、それでもやっぱし私は生きたいよ!こんなエンディングは嫌だい!と意を決して、正に死に者狂いで目の前の神様に祈る気持ちで本気でしゃがみ、蜂を不意うってしまうことができました。
幸いなことに刺されなかった、ということに心から感謝したし、これからはもっと気をつけて他の生き物との距離を大切に、生きようと思いました。

でもね、それでも実は後悔はしていなくって、とても貴重な神秘的な体験をしたなあとも思うので、愚かな奴だとも思います。。。でもね、繰り返すのは嫌だとも思いますが。。。


そしてもう一つの別天地は、子どもの頃にみた、儀式的な夢です。
もしかして、あの夢の謎解きをしたいがために、私は今でも踊り続けているのかもしれません。

夢の中では、生きている私たちが、声を出しながら死者=私の曾おばあちゃんの周りをグルグル回り続けていたのでした。

あれは、家族的な夢なのかなと、思っていたのですが、今思うに、もしかしたら、子どもだった私の認識力の限界で、出てくる人たちが親戚や私の家族だけだったのかもしれません。

今の私が推測するに、この夢の形は、一つの細胞、一つの生命、一つの集団、一つの社会、一つの国、一つの地球、一つの銀河、そして一つの宇宙すべての構造が、そのようになってるんだよ、と物語っているように思えてなりません。

そんな別天地を体験した私が、どれだけ楽しく生き、どれだけたくさんの人と楽しく生きてゆくことができるのかなと、思うと、とてもワクワクします 笑う

ソロ公演まであと一週間切りました。。本番まで、良く生きたいなと、心から思います 照れる

 

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2008年03月11日

疑いのガラクタ

昨日の夜晩く、家の近くの路地の端っこに、蠢く柔らかいモノが目に飛び込んできたので、毛が逆立ちそうになりました 驚く

よ~く見てみたら、ガマガエルでした 照れる

まだ冬篭りから出てきたばかりなのかしら。
動きがなんだか、カクカク震えてるんだけど、それでも外に向かってまっすぐ歩いている姿にすごーく引きつけられちゃいました。なんだか、とっても舞踏でした 笑う

 2日まえには、公園で犬が飼い主とボールで遊んでたんだけど、犬がボールを咥えて飼い主にまっしぐらに向かってゆく姿と、遊びたくてしょうがなくってヘラヘラとても嬉しそうな犬の笑顔に、すごーく引きつけられちゃいました。

カエルは他のカエルと相談することなく、自分で春だと感じて土の中から這い上がってて、
犬も疑いの余地なく飼い主に向かってまっしぐらにボールをもってゆくのだから、
凄いなって感じます。疑いのカケラが一つもないその姿って、とても美しいなと感じます。

純粋に何かに立ち向かおうとするのって、難しいことだなって思います 悩む
立ち向かうことを鈍らせるガラクタが私のまわりにいっぱいついてしまうからです。
そのガラクタ、脳みそが高度だからだと思うのだけど。
だから、カエルみたいに勘を働かせて独り生きのびる必要もないし、犬みたいに一途に飼い主を愛するほど単純じゃない。

でもね、勘を働かせなくとも楽してぬくぬくと生き延びられるから、何か誰かにに一途にならなくともぬくぬくと生き延びられるからこそ、他の動物よりも生き生きとしてないことも、あるんだとおもいます。
動物園の動物も、野性に戻すことって難しいそうですが、楽をすればするほど、生きる力って、失せてしまうのかもしれないですね。。(それが退化というかというと、そうでもなかったりするかもですが。)

予定調和が一切ない完全即興が成功する時もね、
同じだなって思います。勘を働かせる&一途に楽しむってとっても大事で、とっても難しいです。

もし自分自身に迷いが生じたら、相手に猜疑心を覚えたら、成立しないです。

かといって、自信満々すぎても、相手にべったりして歩調を合わせすぎても、成立しません。

バランス、ほんとに難しいなって、思います。

だから、再現不可能、一期一会なんだろうなっとも、思います。

なんだかとってもワイルドです クール

じゃあこれが進化かというと、そうでもないかもしれませんね。。。ワイルドだもん。

なんだかとっても複雑です あっかんべー

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2008年03月10日

★Real Mass Media☆

『岡本太郎の中のメキシコ』についてレクチャーしますとの元川崎市岡本太郎美術館学芸員の仲野泰生さんのご案内に、磁力のようにひきつけられてしまって、時間がないのに大丈夫かよ。。と悩みつつも、今日はお話を伺いに行かざるをえませんでした。

私には、もしお遭いしなければ、私がここまで表現することに勇気を持つことはなかったかもしれない、と心底思う先達がたくさんいます。岡本太郎さんもその一人です。そしてそう思われる方は本当にたくさんいらっしゃると思います。

もし、子供の頃にマスメディアを通して太郎さんに出逢わなければ、この世界の輝きは今ほどには目には映らなかったかもしれません。と思えます。

仲野さんのお話から、岡本太郎という人生を追想させていただくことができて、本当に有意義なひと時でした。大衆メディアに背を向けることなく、立ち向かっていった太郎さんは、私にはチャップリンと同じく、勇敢な道化師だったのだと感じました。

 そして、レクチャーのあとに、『明日の神話』と初対面しました。

が、その前に・・・ディスプレイされていた、岡本太郎作の絵で釘付けになったものが2点ありました。

一つは、タイトル忘れましたが、孤独と葛藤をテーマにした、暗い絵です。
崖っぷちに大きな岩が立っていて、落下しまいかとハラハラとするような絵です。この絵があっての、岡本太郎だったのだな、闇から這い上がった太郎さんの爆発するエネルギーが太陽の塔と、明日の神話に昇華されたのだなと、私は感じました。

そしてもう一つは、横長のキャンバスを白く塗りつぶしたものです。これは、『明日の神話』のデッサンを塗りつぶしているものでした。透視カメラで撮影したものがそのキャンバスの上にあって、衝動に駆られるままに描いたと思われたのでした。
その絵は、なぜ塗りつぶされたのか?と考えたくなるようなディスプレイのされ方でしたが、私的には、流動的過ぎたから、太郎さん的にダメだったんじゃないかなと、感じました。(でもね、これはダンスでも、そしてきっと書も同じです)

衝動をそのまま作品にするのではなく、衝動をしっかりとした形に顕すことで、衝動がよりビビッとパワフルに伝わる力をもたせよう、美の呪力を持たせようとされたのでしょうか。。。

そんこんなで、食前酒のような作品に既に衝撃を受けながら、いよいよ出逢った『明日の神話』は、言葉に表したくはありませんが、やっぱり、太郎さんはリアルなマスメディアだったんだなと感じました。社会や大衆との関係性を切り離さずに、でも臆することなく自己表現を開花させた、本当に明日の神話的な絵だなと、思いました。

 

 

そして、太郎インパクトが残ったまま、今日は深町純さん、MASSAさん、KONTAさんのセッションに伺い、完全即興にチャレンジさせていただきました。

私の表現、爆発するにはまだまだ、まだまだ・・・でしたが、音楽とダンス、この二つの表現媒体の完全即興で、予定調和なく調和に行き着けるんだという確信が持てた、素敵なひとときでした。

そんな調和の築き方が好きな私が、あらかじめ予定された作品をつくろうと、葛藤しているのは何だか矛盾していているし、説明しようもない苦しみです。
でも、そんな矛盾に身もだえできる平和な環境にいることを、まず心から感謝したいです。

そして、苦しめるだけ大いに苦しもうと思います 笑う

 

 

 

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2008年03月08日

ダンスと音楽のマリアージュ

今日は書の稽古に行きました。

書は、やはり奥が深すぎます。 悩む
一本の線に、精神性を感じることができなければ、書ではない。

そうでなければ、たとえ言葉が書いてあっても、一般的なデザインと変わらない。。。

一本の線に、一つの言葉に、
どれだけ生命の息吹を注ぎ込めるか?
どれだけ生き様を深く刻み込めるのか??

四方形の白紙のなかには、
底知れない世界が広がっていて、
足を踏み入れたばかりの私の目の前には、
草ぼーぼーのジャングルが立ちはだかってるのでありました~ 驚く 驚く 驚く

 

そして、、そのあとは公演のリハーサルをしました。
清水一登さん 、ミッチャンとのリハーサルは、互いの認識の違いを理解することから始まりました。

ミュージシャンとダンサー、色々な溝があります。
そして、理解しようにも、言葉で説明しようとしたら、言葉の使い方がまた違いました。

同じ日本語を使っても、言葉だけでは理解はしあえてなかったのでありました。 叫ぶ

身振り手振りに演奏も混じえて、あれこれ試行錯誤して、あーそういうことだったのね!とやっと理解しあえました。

互いを理解しあおうとすると、泥沼のようになってしまうこともある。それでも誤解を乗り越えよう、相手を理解しようと必死になるパッションが必要なのね、と、身をもって理解した、本当に有意義なひとときでした。
清水さんにミッチャンに、スタッフの皆様、本当にありがとうございました~

理解しあえたときに感じたこの喜びや楽しさを、舞台で丁寧に開花させたいなと、心から思います。 照れる

本番まであと2週間かあ。。。私自身の能力に限界があるし、今の私に出来ることは限られているけど、それでも今の私なりに精一杯、頑張ろうと思います。

本当に、本当に、楽しい、楽しい、舞台にしたいです 笑う

 

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2008年03月02日

20世紀のトリックスター

ずいぶん久しぶりに、ライムライトを観ました。

子供の時にみたライムライトでは、チャップリン演ずる道化師は、バレエリーナを助ける親切なおじいさんにしか見えなかったけど、バレエリーナとのラブストーリーだったことを今日理解しました。。

どうやら私も大人の女性に成長できたようです。 キス

国外追放直前のこの作品は、道化師として人生を費やしたチャップリン自身の内面凝視をした結果の作品に思えました。
大衆を喜ばせたいという熱意や愛情と、一方で大衆には理解されえない、哀しみや憎しみや孤独を、ストレートに発している矛盾したチャップリンの姿をみていて、この人は、馬鹿なくらい全うに世界と大衆を相手にした本当に勇敢な道化師だったんだな、と、畏敬の念を持ちました。

改めて、新たに大事なものを学んだキモチです。

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2008年03月01日

儀式のDNA

私には儀式に惹かれる思いが強くあります。

儀式に興味を覚えたのは、子どもの頃でした。

『禁じられた遊び』を確か5,6歳の頃に観たのだけど、主人公の少年が、戦争で殺されてしまった両親を蘇らそうと再生の儀式をしてたのかな?という記憶がかすかにあります。

私もそれに影響されて、死と再生の儀式を作って大人にはナイショで、友達と遊びました。

儀式に使ったのはつまようじでした。
つまようじを牙に見立てて、鬼がキョンシーのようにヌボーっと登場し、子どもたちはキャーキャー叫んで一応逃げる心持でソファーに固まっちゃうので、一人つかまって血を吸われてしまうのでした。。。。
『鬼が人の子どもの血を吸って、人間の子に戻る→血を吸われた子は鬼になり、人の子の血を吸うとまた人間の子に戻れる』の単純な繰り返しなのだけど、参加したどの子も、キャッキャしながら繰り返し、笑い疲れ果てるまで繰り返し、鬼ごっこをして楽しんだ記憶があります。とっても楽しい思い出です。

そして、はじめてちゃんとソロで踊ろうと思いたった1年前の小正月に、旅をしました。

向かった先は母の田舎の長野県伊那でした。
私には、子どもの頃に観たとても儀式的な夢が引っかかっていました。
その夢はあまりに儀式的なので、本当にあったことだと大人になるまで思っていました。
その儀式の中には母親やいとことなどもいたので、後に母親に聞いてみたら、それはお前の夢だと言われて、とても驚きました。なので、その夢の舞台だった田舎に行って、色々と確かめたいと思いました。

 私が生まれたのは伊那の阿南の病院です。
母方の家は隣村ですが、阿南町という町には、遠い親戚が住んでいるそうです。

そしてこの阿南という町には、『雪まつり』という神楽があります。
長野には他にもたくさんの儀式や祭りがあるんもだけど、子どもの頃からこの『雪まつり』の存在が気になっていたので、止むにやまれず旅立ったのでした。
夢でも一緒だったいとこと一緒に行った、マイナス10度の深夜に精霊が舞うお祭りは、私にはとても心地がよいものでした。
『さいほう』という神さまのリンガムを2回もほっぺたにペンペンされてしまったり、とっても楽しいひと時でした。

この町の方々にとっては、私はよそ者でしかないだろうけど、でも私の祖先もこの祭りにきっと参加して、生活をしていたのだなと思うと、なんだか心があったかくなりました。

でも、その一方で、この祭りのサークルから切り離されてしまった、彼らの末裔である、都市で暮らす者としての私という存在の浮遊感を感じました。
そして浮遊感を感じて生きているたくさんの人々が都会にはたくさんいるのだと感じました。

また、今年の正月に、母からこんな話を聞いたのでした。
田舎では私のおじいちゃんの代まで、シナの木を使って、門松を作ったり、アイヌの儀式の形を取り入れた儀式をしていたようなのです。母の話が確かなら、儀式は17代くらい続いたのかな確か・・・。
多分、私の血には、アイヌの血も入っているのではないかと思います。
母方の先祖には、奈良や京都から移り住んだ人たちがいると聞いています。
その人たちがシナの国でアイヌ系の方々と出会い、どんな思いで代々脈々とその儀式をつづけていたのだろうかと思うと、心があつくなります。そして、私が今回の公演に向けて言葉を書いたのは、去年の夏だったので、不思議なキモチがします。あの言葉は、私を越えた大きな力に書かされていたのではないかと思います。

(ちなみに補足ですが、母によると、信濃の国とは『シナ』の国であり、『シナ』はアイヌの民が儀式に使った大事な木なのだそうです。それから、母方の話だけだと不公平だから・・父も長野の飯田出身で、飯田でも御柱祭りをしますので、御柱にもとても強く惹かれてます。)

儀式というものが、とても心地よく、また人と繋がる素敵な仕組みなんじゃないかというキモチは、今余計に強くなっています。

というわけで、
今回のダンスは、田舎の伊那からスタートし、京都で作品の大枠をつくる機会を頂き、東京でお披露目になります。
私的には先祖供養のような作品ですし、儀式の色がどんどん濃くなってきている気がします。まだまだ未成熟のまま、お披露目になってしまいそうですが、そこに今の『私らしさ』があるのであれば、それはそれで、幸いなことだと、思います。 照れる

 

 

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