私には儀式に惹かれる思いが強くあります。
儀式に興味を覚えたのは、子どもの頃でした。
『禁じられた遊び』を確か5,6歳の頃に観たのだけど、主人公の少年が、戦争で殺されてしまった両親を蘇らそうと再生の儀式をしてたのかな?という記憶がかすかにあります。
私もそれに影響されて、死と再生の儀式を作って大人にはナイショで、友達と遊びました。
儀式に使ったのはつまようじでした。
つまようじを牙に見立てて、鬼がキョンシーのようにヌボーっと登場し、子どもたちはキャーキャー叫んで一応逃げる心持でソファーに固まっちゃうので、一人つかまって血を吸われてしまうのでした。。。。
『鬼が人の子どもの血を吸って、人間の子に戻る→血を吸われた子は鬼になり、人の子の血を吸うとまた人間の子に戻れる』の単純な繰り返しなのだけど、参加したどの子も、キャッキャしながら繰り返し、笑い疲れ果てるまで繰り返し、鬼ごっこをして楽しんだ記憶があります。とっても楽しい思い出です。
そして、はじめてちゃんとソロで踊ろうと思いたった1年前の小正月に、旅をしました。
向かった先は母の田舎の長野県伊那でした。
私には、子どもの頃に観たとても儀式的な夢が引っかかっていました。
その夢はあまりに儀式的なので、本当にあったことだと大人になるまで思っていました。
その儀式の中には母親やいとことなどもいたので、後に母親に聞いてみたら、それはお前の夢だと言われて、とても驚きました。なので、その夢の舞台だった田舎に行って、色々と確かめたいと思いました。
私が生まれたのは伊那の阿南の病院です。
母方の家は隣村ですが、阿南町という町には、遠い親戚が住んでいるそうです。
そしてこの阿南という町には、『雪まつり』という神楽があります。
長野には他にもたくさんの儀式や祭りがあるんもだけど、子どもの頃からこの『雪まつり』の存在が気になっていたので、止むにやまれず旅立ったのでした。
夢でも一緒だったいとこと一緒に行った、マイナス10度の深夜に精霊が舞うお祭りは、私にはとても心地がよいものでした。
『さいほう』という神さまのリンガムを2回もほっぺたにペンペンされてしまったり、とっても楽しいひと時でした。
この町の方々にとっては、私はよそ者でしかないだろうけど、でも私の祖先もこの祭りにきっと参加して、生活をしていたのだなと思うと、なんだか心があったかくなりました。
でも、その一方で、この祭りのサークルから切り離されてしまった、彼らの末裔である、都市で暮らす者としての私という存在の浮遊感を感じました。
そして浮遊感を感じて生きているたくさんの人々が都会にはたくさんいるのだと感じました。
また、今年の正月に、母からこんな話を聞いたのでした。
田舎では私のおじいちゃんの代まで、シナの木を使って、門松を作ったり、アイヌの儀式の形を取り入れた儀式をしていたようなのです。母の話が確かなら、儀式は17代くらい続いたのかな確か・・・。
多分、私の血には、アイヌの血も入っているのではないかと思います。
母方の先祖には、奈良や京都から移り住んだ人たちがいると聞いています。
その人たちがシナの国でアイヌ系の方々と出会い、どんな思いで代々脈々とその儀式をつづけていたのだろうかと思うと、心があつくなります。そして、私が今回の公演に向けて言葉を書いたのは、去年の夏だったので、不思議なキモチがします。あの言葉は、私を越えた大きな力に書かされていたのではないかと思います。
(ちなみに補足ですが、母によると、信濃の国とは『シナ』の国であり、『シナ』はアイヌの民が儀式に使った大事な木なのだそうです。それから、母方の話だけだと不公平だから・・父も長野の飯田出身で、飯田でも御柱祭りをしますので、御柱にもとても強く惹かれてます。)
儀式というものが、とても心地よく、また人と繋がる素敵な仕組みなんじゃないかというキモチは、今余計に強くなっています。
というわけで、
今回のダンスは、田舎の伊那からスタートし、京都で作品の大枠をつくる機会を頂き、東京でお披露目になります。
私的には先祖供養のような作品ですし、儀式の色がどんどん濃くなってきている気がします。まだまだ未成熟のまま、お披露目になってしまいそうですが、そこに今の『私らしさ』があるのであれば、それはそれで、幸いなことだと、思います。






コメント (4)
宮本晃介:
再びお邪魔します。くどい!とおっしゃらずに、コメント書かせてください(笑)。家でストーブにあたりながら、こういう時間、好きなんです。
長野といえば秋に、戸隠そばを食べに寄りました。富山(田舎)の帰りに途中下車。「本場の戸隠そばを食べたい」と言うと、タクシーが運んでくれたのは、高原まで。料金メーターが・・・(汗)。
長野は、伝統行事が多そうですね。日本一、教育水準が高いというのも有名だし。
シナの蓄積量・産出量はやはり北海道が一番多いそうです。アイヌ民族が本州長野まで持ってきたのが、始まりなんでしょうかね。
シナ材の鉛筆で勉強すると、頭がよくなりそうです。
そんな長野を思い、東京公演を観てみますね。
投稿者: 宮本晃介 | 2008年03月02日 01:45
佐和香:
どうもありがとうございます~☆
私もリラックスしてる時に書いてますんで嬉しいです^^
教育に熱心なのはね、閉口しますですホントに。
でもなんで一方でお祭り好き?って感じもしないでもなく、でもバランスが取れてたのかもしれないなあとも思わないでもなく・・・。
戸隠のあたりには、たしか百済だったかな?あれ、新羅だったかな?渡来した人たちの遺跡もあります。
それとかね、村上氏ってのがいるんだけど、それが熊野の村上水軍と繋がっていたりね。。。
長野北部には大和朝廷が遷都候補に上げた場所もあるんですよ。
不思議な場所ですね、長野って。。。
そして、古くはアイヌがいた。。
私も母は、小学生の時に、アイヌの装束でひげもアイヌの方みたいにみたいにもっさり真っ白なな、おじいさんが北海道から小学校にやってきて、小学校の誰かの子の親戚だといって校長先生が皆に紹介したそうです。
どういういきさつかは不明ですが・・・。この話に関係するかもわかりませんが。。。
それから、長野の南側には東山道という京都から奥州に向かっての道があり、アイヌ討伐に使われたようです。遠征用の馬を飼うところもたしか飯田とかあのあたりにあったのかな・・
長野がどういうプロセスを経て朝廷との関係を強め、アイヌがどういう形で長野での存在を薄めていったのか・・・。
気にはなることです。
歴史の記述にはされてないかもしれないですね。
投稿者: 佐和香 | 2008年03月02日 14:02
宮本晃介:
東山道は、たしか飯田を経て岐阜・滋賀・京都に繋がる道でしたっけ。北陸から京都まで高速道路を使うことがあるので、「東山道」という名称は記憶にありますよ。杉だらけの山、山、山・・・春先はつらい(笑)。
やっぱり蕎麦は中国が原産ですかぁ。徳島にも「揖屋そば」に対抗すべく「韃靼そば」というのがあります。
長野新幹線が無い頃。田舎に行くには在来線を使いました。信越路の景色ってきれいですよ。妙高あたりの雪景色が素晴らしいですね。「鉄っちゃん」ではありませんが、小さい頃から、このあたりの旅は好きです。
雪国独特の家並みも、ロマンティック。「ヘ」の字型の屋根がなんとも情緒ありますよ。地元の方々には雪は厄介者でしょうけれど。
「長野」を「なかの」と言う人もいますが、どうなんでしょう。(しばし休憩失礼します)
投稿者: 宮本晃介 | 2008年03月02日 21:40
佐和香:
どうもありがとうございます~
いいですね。その雪景色は見てみたいなあ
なかの、ですか。初めて知りました。
どの辺りの方が言うのかしら?
ちなみに南信は蕎麦は産地ではないです。田舎あたりで蕎麦屋を探すのは苦労するくらいですよ~
逆に新潟とかの方が蕎麦食べるのでは??
長野は縦に長いから、文化も北南ちがいますね。きっと。
あまりよくしらないから、色々調べてみたくなりました。
投稿者: 佐和香 | 2008年03月02日 22:02