『岡本太郎の中のメキシコ』についてレクチャーしますとの元川崎市岡本太郎美術館学芸員の仲野泰生さんのご案内に、磁力のようにひきつけられてしまって、時間がないのに大丈夫かよ。。と悩みつつも、今日はお話を伺いに行かざるをえませんでした。
私には、もしお遭いしなければ、私がここまで表現することに勇気を持つことはなかったかもしれない、と心底思う先達がたくさんいます。岡本太郎さんもその一人です。そしてそう思われる方は本当にたくさんいらっしゃると思います。
もし、子供の頃にマスメディアを通して太郎さんに出逢わなければ、この世界の輝きは今ほどには目には映らなかったかもしれません。と思えます。
仲野さんのお話から、岡本太郎という人生を追想させていただくことができて、本当に有意義なひと時でした。大衆メディアに背を向けることなく、立ち向かっていった太郎さんは、私にはチャップリンと同じく、勇敢な道化師だったのだと感じました。
そして、レクチャーのあとに、『明日の神話』と初対面しました。
が、その前に・・・ディスプレイされていた、岡本太郎作の絵で釘付けになったものが2点ありました。
一つは、タイトル忘れましたが、孤独と葛藤をテーマにした、暗い絵です。
崖っぷちに大きな岩が立っていて、落下しまいかとハラハラとするような絵です。この絵があっての、岡本太郎だったのだな、闇から這い上がった太郎さんの爆発するエネルギーが太陽の塔と、明日の神話に昇華されたのだなと、私は感じました。
そしてもう一つは、横長のキャンバスを白く塗りつぶしたものです。これは、『明日の神話』のデッサンを塗りつぶしているものでした。透視カメラで撮影したものがそのキャンバスの上にあって、衝動に駆られるままに描いたと思われたのでした。
その絵は、なぜ塗りつぶされたのか?と考えたくなるようなディスプレイのされ方でしたが、私的には、流動的過ぎたから、太郎さん的にダメだったんじゃないかなと、感じました。(でもね、これはダンスでも、そしてきっと書も同じです)
衝動をそのまま作品にするのではなく、衝動をしっかりとした形に顕すことで、衝動がよりビビッとパワフルに伝わる力をもたせよう、美の呪力を持たせようとされたのでしょうか。。。
そんこんなで、食前酒のような作品に既に衝撃を受けながら、いよいよ出逢った『明日の神話』は、言葉に表したくはありませんが、やっぱり、太郎さんはリアルなマスメディアだったんだなと感じました。社会や大衆との関係性を切り離さずに、でも臆することなく自己表現を開花させた、本当に明日の神話的な絵だなと、思いました。
そして、太郎インパクトが残ったまま、今日は深町純さん、MASSAさん、KONTAさんのセッションに伺い、完全即興にチャレンジさせていただきました。
私の表現、爆発するにはまだまだ、まだまだ・・・でしたが、音楽とダンス、この二つの表現媒体の完全即興で、予定調和なく調和に行き着けるんだという確信が持てた、素敵なひとときでした。
そんな調和の築き方が好きな私が、あらかじめ予定された作品をつくろうと、葛藤しているのは何だか矛盾していているし、説明しようもない苦しみです。
でも、そんな矛盾に身もだえできる平和な環境にいることを、まず心から感謝したいです。
そして、苦しめるだけ大いに苦しもうと思います





