最近、直感が偏見にいかに繋がりやすいか、イノセントな行動や発言がいかに他人を傷つけるか、世界までも余計に悪い方向へ歪曲させてしまうことすらあるか、と気づかされることがたくさんあります。
たとえ理想や正義を愛するがゆえの言動だとしてもね。
私がミュージシャンの方々などと完全即興で踊る際に大切にしているのは、その場しのぎな直感ではなく、リアルで繊細な勘です。
それは私の内部から発動する、ウソ発見器みたいなものです。
その勘は、自分や他者から発せられる玉石混淆とした様々なものから無駄なものを削り取り、とてもシンプルな形に昇華して、その人そのものの姿形を捉えるようにしてくれます。
例えるならば、高性能な顕微鏡みたいだし、通信衛星からとらえた映像みたいです。
でも、私が尊大で周りが見えてない時は、働きません。
どんな状況であろうとも、一時的な感情や直感に押し流されずに、非常に思慮深く、謙虚に振る舞う大胆さが私に問われます。
だから、とても難しいです。
DNAのたった4文字の組み合わせが、たんぱく質と絡み会い複雑な生物ができてゆくそうですが、DNAで構築された人である以上、いくら見てくれを繕っても、着飾っても、
シンプルに削ぎ落としてしまえば、人ってのも結局はいびつな形をした生物でしかなんじゃないか…。
人が長年かけて築きあげた世界が美しくないと同様に、己も美しくはないんじゃないか…。
だからね、私の直感というものにも、最近は懐疑的になっています。
他に向けて何かものを発する時には特にね、、まずは自分の足元や周りを見つめて、冷静に振舞い、勘を働かすことを心がけています。
私自身がいびつだから、 無知だからこそ、その時々に私が触れあう人や出来事をできうるかぎり見誤ることのないように、謙虚な姿勢で勘を働かせ智慧を働かすことを、こころがけています。
無知無智な人にならないようにね★
(ムチムチした食べ物は好きだけど
)
今日は本を通して偉大なDNA発見者の、日陰の美しい生きざまに触れられたんだけどね、余計にね、謙虚に生きることって大切なんだなああ~って、ほねみに沁みるいように感じました。。





コメント (4)
宮本晃介:
またおじゃまいたしまーす。サワカさんの文意を読み違えていたらごめんなさいね。
そう。イノセントに振舞うことで、人を傷つけたり誤解を与えてしまうことって、よくあるんですよね。私の場合、行動言動の大多数が、そんな結果になってしまいます。まぁ、言葉遣いでそうなってしまう場合もあるんですが。悪意なんかないのに、どうして・・・って悲しくなります。
対人との価値観の違いからも、トラブルが生じることもありますね。着ている服が、自分にとっては「普通」の物であっても、相手からは「カッコつけてる。カワイコぶってる」と、なるような例なんか・・・。
字数制限保護のため、つづく・・・。
投稿者: 宮本晃介 | 2008年04月30日 23:29
宮本晃介:
・・・つづき(クドくてスミマセン。でも、今回のテーマは私の関心事項なんですよ)
思慮深く謙虚になるのは、難しいことですよ~。そう努めることは出来ても、完成させるには時間がかかります。でも、大事なことなので、私も「謙虚になる」に同意します。謙虚になれば、相手の話も理解しやすくなると思います。相手が何を欲求しているかとか・・・これは社会生活には重要なことですからね。
でも何事もそうですが、過剰に思慮深くならぬよう注意してください。ある程度「イイカゲン」があったほうがいいですよ。
私の場合(職業病もからみますが)、思慮深く注意深くなりすぎて、自分の行動にさえ信用を失くしました。自分の眼、自分の脳をおかしくしてしまいました。人の行動よりも自分の行動に疑いを持ち、神経症(脅迫性障害・確認恐怖症)の渦中でもがいております。
目で確認視は出来ても、脳が納得してくれず、その場から移動できないんです。そして全てが怖くなり、呆然としてしまいます。
私は特に「落し物恐怖症」なんです。落し物をしていないか、歩いて来た道をまた戻って確認したりします。酷いと十回以上も。だから通路や道路で立ち尽くしたりなんてこともあって、よく通行人から怒られます。
それは、確かに私が悪いんです。
なんだか一方的な身の上話になってしまってスミマセン。ここは病院じゃありません!って怒られそうですが(謝)。 とにかく、楽しみながら、割とアバウトに目標に向かえばOK!ですよ。サワカさんの舞踏や表現を観に来る人たちは、サワカさんの一生懸命さを見抜いているはずだから。
投稿者: 宮本晃介 | 2008年04月30日 23:48
佐和香:
どうも有難うございマス。
『相手の言い分を聞く』ってご存知ですか?裁判の公平性?衡平性?の為に大切なことだそうです。
昔は法哲学や法ってなんであるのかな?とか、法の問題点とかとかを学んでたんだけどね、もうすっかり忘れちゃいました。でも、法の根っこにある精神って、いまだに生きるカテになってます★
自分の言いたいこと言うよりも、相手が何を求めているか、今何に向かっているのか、どんな気持ちなのか、を探りながら、自分のポケットから言葉や気持ちを伝えあったり、振舞いあう、って大事だなあと思います。
「コミュニケーション」って、私がイメージしてしまうのは、一つの生命体をその場で作っているイメージです。相手を思いやる気持ちがあってこそ、私の言葉も相手の言葉も生き生きとしてくるのかなって思います。
バランスがとれた、言葉の出し合いって感じなのかな。シーソー遊びみたいな感じがします。
人間の体も、日々食べてる食べ物が体内で細かい物質に分解されて、血肉骨になってますよね。一時として私たちの血や肉や骨を組成する物質が100%同じ物質のまま留まっていることって、実はないんでしょうね。一秒一秒、一分一分、一時間一時間、一日一日、一年一年・・・と私たちのどこかが摂取する物質と入れ替わり続ける存在なんだなあ・・・・・・と思うと、今ある自分に固執するよりも、自分の一部を棄てて、他から栄養になるものを摂取する、その循環をし続けることって、より、生き生きすることに繋がるのかなって思います。だから、人ってコミュニケーションをするのかなって思います。自らの破壊と創造がコミュニケーションの根源かな★☆
まあ、なにはともあれ、Take it easy です★
お体も心も、どうぞご自愛くださいませ^^
投稿者: 佐和香 | 2008年05月01日 08:23
佐和香:
>思慮深く注意深くなりすぎて、自分の行動にさえ信用を失くしました。自分の眼、自分の脳をおかしくしてしまいました。人の行動よりも自分の行動に疑いを持ち、神経症(脅迫性障害・確認恐怖症)の渦中でもがいております。
そうでしたか。自分の行動よりも人の行動に疑いを持ちすぎるのもアンバランスですしね。。。バランス、難しいですね。
私には気が効いたお返事ができないけど、ここが宮本さんの心やすらぐ遊水地みたいな場となっているのであれば、幸いです。
投稿者: 佐和香 | 2008年05月02日 02:00