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2008年05月 アーカイブ

2008年05月25日

可愛さ余って憎さ百倍

こんな言葉をふと思い出してしまいました。
これって諺だったかしら?


他人との関係において
他人を自分が
可愛がったり
思いやることって、

結構
際どいことな気がします…
自己満足に傾きやすい気がします…

どんな形であれ
相手を思っていることを
相手に直接表明するって
自分の存在を誇示できる
安易な表現方法でもあるからね。

だからこそ、
重たい表現方法なんだと思います。


思われるより
思うほうが
結構
楽なんだよね。

他人から
可愛がられすぎたり
思われすぎたり
されてみて
結構
重たいことなんだって
気付くんだよね。

これって
親子、友達、恋愛、先輩後輩、先生生徒などなど
どんな関係でも
同じなんだと思います

人との関係において
付き合いが楽な方と
付き合いが重たい方って
誰にだって
いるんだと思いますが

付き合いが
重たい場合って
思いやりあいの
バランスが
取れてない場合
なのかなあ


なんて、これまでのたくさんの関係性を重ねてみて実感してます。

『人』という文字は
人と人が寄り添いあっている形
だそうだけど、
どちらかが
身を傾けすぎてしまうと
『入』りこみな関係
ってな気がする。


他人との間に
均衡点でつりあえる
絶妙なバランスが
自分の力で保ててこそ、人は人になれるのかもしれない。
他人を思いやることができるのかもしれない。

思いやりと称して

他人に依存しすぎたり
他人に期待したり
他人に見返りを求たり
するのって
相手を自分の思うままに
扱いたい気持ちと
裏腹なのかもしれない。


そうならない
他人を思いやり方ってのは、結局
自分を当てにすることなんだろうな。

自分を当てにしてれば
他人に対して
可愛さ余って憎さ百倍は起きない気がします。

他人をもっと思い遣れるようにね

私をもっと当てにして
生きゆきたいと思います〜

△Top

2008年05月24日

自己対峙の極美☆

キース・ジャレットのソロ即興コンサートに行ってきました。


初めてだったのだけど、素晴らしかったです〜っとしか言えません。どストレートに素晴らしすぎて美しすぎて…。


美しい表現は本当に素晴らしい尊いものなんだ、と心から思いました。


いかめしくなく、かしこまらず、時々オーディエンスを笑わせてくれるキースの陽気な立居振舞…
立ち上がったり、身をよじったり、ステップ踏んだり、うなったりしながら鍵盤をたたく姿…

最初はピアノを弾くにはずいぶん変な人に見えましたが、トランス状態でダンスしてるのと同じ感覚な感じがしました。
でもご自分を全く見失ってない。
並外れた精神力なのだと思います。

そして、音楽と身体表現は同じ所からやってくるんだよ、と、無邪気に示してくれているようで、なんだか嬉しくなりました。


キースとピアノしかいない簡素な舞台なのに、会場はまさに至福と快楽に包まれていて、永遠に続いて欲しいなあ終わってほしくないなあと思いました〜。
そして、なんどもなんどものアンコールに応えるキースの演奏が全て気を抜いてない素晴らしい演奏なのにも、ため息ついてしまいました。
キースがこの世界にいてくれて、本当に良かったと思いました。

自己対峙を極めるって凄いパワーを秘めているんだな。


私も真摯に自己対峙、しようと思います(^-^)/


△Top

2008年05月22日

せいちょうき

ここ2年で1センチ伸びました~

なにがって、背です。 照れる



じんわりした成長って、何が起因なのかしら?

なんだか心と繋がった成長のような気がします~ 笑う



今日は久しぶりにダンスユニットメンバーの稽古をしました。

最近はリハビリ中&ソロ公演にかこつけて、メンバー稽古を休止してました。

が、韓国でのパフォーマンスを前にして、やばいかも 叫ぶ
とお尻に火がついて今日は急遽メンバーと稽古しました。

やばいかも、との危惧は裏切られ、
メンバーは1時間の稽古でまたたく間に成長して驚きました~

彼女も稽古あまり好きじゃない子なので、
お互いに汗ったのが良かったのかもしれません。。

でもね、
身体表現て
いつも皆で集まって
お稽古すればいいわけでも
ないんだよなあ
と、今日も思いました。

私はメンバーに、
まず、
自分自身の人生を
いきいき生きようね
ダンスは
自分自身で磨こうね
と伝えてます。

だから皆
思い思いに
好きな人生を生きてる子ばかりです。

だからメンバーがそろうのは
直前リハからとか、
本番のみだったりするんだけどね(*_*)

でもね、
表現の磨き方に
マニュアルってないです。
複製表現者ができちゃうこともあるからね。。。

それに、
教える側として
その人そのものの良さを
引き出す教え方って
なかなか難しいです~

でもね、
そんなこんな
言い分の裏には
ダンスを人に定期的に教えるの
好きじゃあ~りません~
という言い訳もあるのでした…。

だって教えるのとかリーダーやるのって
労力いるんだもの…。

・・・やはり、もっと成長しようと思います。 悩む


まずは韓国で、一皮脱いできます~ 笑う

 

ちなみにこれがメンバーです。

△Top

2008年05月20日

ウルウ゛ィントーレ初来日公演

大野一雄舞踏研究所主催のルワンダの劇団の公演が迫って来ましたのでご案内させていただきます。
アフリカ開発会議が行われる横浜でルワンダの劇団の公演が行われます。
ルワンダの悲劇を体験した役者達がアウシュビッツをテキストとした芝居に取り組みます。
ウルウ゛ィントーレ初来日公演
「追求」
原作
ペーターヴァイス
日時
5月23日(金)19:005月24日(土)17:005月25日(日)14:00
チケット
5月23・24日
前売り
一般3000円
学生/シニア2500円
当日
一般3500円
学生/シニア3000円
5月25日(特別プログラム:土取利行とアブドゥー・オウォログムがコラボレーションします)
前売り
一般3500円
学生/シニア3000円
当日
一般4000円
学生/シニア3500円
予約・お問い合わせBankART1929
info@bankart1929
℡045-663-2812
fax045-663-2813
会場
BankARTStudioNYK http://www.bankart1929.com/
〒231-0002横浜市中区海岸通3-9
アクセス
みなとみらい線「馬車道駅」6出口[万国橋口]徒歩4分

△Top

2008年05月19日

うっかり佐和平衛

私ってうっかりミスが多いです。中でもうっかり忘れものが多いです(*_*)

先日免許更新でビデオをみさせられたけど、
うっかりミスは頭の疲労に原因があるんですって。。。

昨日は夜遅くに駅のトイレにレンタルビデオ、CD、DVDの入った袋を
ごっそりうっかり忘れました(*_*)

頭が疲れてミスをしてる最中よりも
ミスをした後の疲労感って凄い重いです〜(*_*)

それでもね…
頭はそんなこと以外のことをノンストップに考えちゃいます。。

昨日はコーエン兄弟の『ノー・カントリー』を観ました。
結構コーエン兄弟好きなんだけど、今回は…です
作る側から考えてしまうのだけど
この世界や人の混沌や不条理を憂い
自らを無力と悟り
人生の終わりをただ待ち構える余生を送ろうとする
疲れ切った保安官の姿に
今どきどうなん?
って考えてしまいます。

ひとひねり欲しかったな。

でふと思い出したのは、『キッズ・リターン』のラストシーンです。
たしか自転車に二人乗りした傷だらけの少年二人が

『おれたちおしまいなのかな?』

『これからだよ』

というような会話をして終わるんだけどね、
このラストの少年たちの姿に
ヨーロッパの人は希望をみいだせなかったようだ
というような話をテレビで北野監督がされてました。

この世界に希望を見い出すのは
結局は自分自身です。

若かろうが年よりだろうが
生きてる以上は同じだと思う。

若くたって
いつ命が終わるかなんてわからないんだし。

泥沼から這上がろうとする気概ある少年たちの姿を
ラストにその姿を描ける素敵な監督の姿を
ヨーロッパの人たちは
画面から認識できなかったのかな
と北野監督の話を聞いてて思ったことを
『ノー・カントリー』見たあと
うっかり忘れものしてひどく疲れた頭ですら
働きだして
思い出してしまいました~

これがアカデミー受賞作品となるとねえ
アメリカの世流としても
何だかな…
と気になりました。

 

△Top

2008年05月17日

恋ごころ

今日は濃ゆ~い一日を送りました。

朝は日舞の稽古にて、身体の使い方の違いに大汗し、
昼は書の教室にて筆使いや息遣いを楽しみ、
夜は笑いの公演に思わず声を上げて楽しみ、
おウチについたらとてもヘトヘトです。。(((^^;)

でも、どんなにヘトヘトになっちゃっても
日々の生活の中で
表現する楽しさや表現に触れられる喜びを味わえることって
嬉しいことだなあと思います☆


私にとっては、
表現することって
恋することみたいです。

叶わぬ恋だったり、
相思相愛だったりするから、
なかなか面白いです
(^-^)

これからも
素敵な表現に出逢えるよう
素敵な表現を呼込めるように
私を磨いていきたいです。



今月末は、ダンスユニットで韓国のプンムルフェスティバルに参加します。
プンムルフェスティバルとは、プンムルという(確か)五穀豊穣を願う、猿楽みたいなエネルギッシュな伝統芸能の一大祭りです。ブピョンの街中でプンムルが繰り広げられます。
私たちはフェスティバルの中の現代アーティストの野外ステージ部門で、コラボレーションをする予定です(^-^)
韓国人アーティストとのコラボの予定なんだけど、彼らとは3年お付き合いさせていただいています。


彼らと共同作業する度に、
テレビや新聞なとでは知り得ない
現実を知ります。

一番知って嬉しかったのは、
彼らから頂いた、素朴な温かい優しさです。

一番知って哀しかったのは、
簡単には消えない、大戦の傷です。

今年は諸事情でコラボの実現が危ぶまれましたが、
プロデューサーの熱意で何とか実現しそうです。

作り手側として、次回の舞台を恋こがれるような
観ていただく方々にも次回の舞台を恋こがれていただけるような
素敵な舞台が築き上げられるよう
踊りたいです(^-^)

△Top

異文化の溝

しっかりした建物って
内部にいる者たちの構えや立居振舞を
決定的に定めてしまう
絶対法のような
力があります。

今日は
セルリアンタワー能楽堂にて開かれた津村禮次郎先生、森優貴さん、酒井はなさん出演の『ひかり、肖像』を拝見しました。

能や歌舞伎に多少見慣れてくると、
伝統的な日本の舞台では
西洋的な身体表現が
そこはなとなく
浮いているように感じられて
そこはかとなく
落ち着かない
気持ちになってしまいます。

どんなにどんなに素晴らしいダンスでも・・・。

酒井はなさんのダンス、
とても素晴らしいのに、
いざ津村先生が登場すると
決定的に津村先生の身体と立居振舞が
能楽堂と
そして太鼓と笛の音と
一体化して
圧倒的な存在感を放ってしまうのを
目の当たりにして
驚きました~ 驚く

同じ日本人だからといっても
能とモダーンなダンスくらい
身体の使い方が違うと
別の文化の人に見える
というか
明らかに
異文化の人同士なのだ
と感じました。

能楽堂の中で
日本的な立居振舞と
西洋的、もしくは現代的な立居振舞に
差異を感じた私には
日本人の中ですら
異文化同士の者がいて
付き合いや
調和の築き方の
厳しさ、難しさがあることを
目の当たりにした気分になりました。

身体表現が違うということ
立居振舞が違うということ

それは
つまりは

表現を引き起こす
意識や精神構造が
違うってことよね
と思います。


舞踏を始める前は
バレエしか知らなかった私の身体は
舞踏の世界で
振舞い方に苦しんで
絶望的になったことすらあったし
いまだに
うまく立居振舞えてないなと感じ、思う時が
ありますが
これまでの
もがいた分だけ、
意識や精神構造、
良い方向へ変わってきているとも思います。


現代の日本の中だけでも
異文化同士が
進むべき道
歩み寄るべき関係性
取り組むべき問題や課題が
まだまだたくさんあるんだな
踊り手としてだって
やること
やれること
成長したほうがいいこと
たくさんあるんだぞ~
っと、思います。

とはいえ
今夜はとてもとても素敵な、優美な、大人の舞台でした 照れる

△Top

2008年05月16日

真夏の花火☆

刺激を受けると
何とかして
良い形にあらわしてみたくなる
今日このごろです。

毎日を過ごす中で
たくさんの出来ごとに
巡り逢います。

とっても些細なことから
ずいぶん大きなことまでね。

ウフフ(^-^)なことから
ウへ(+_+)~なことまでね。

ムカムカ(>_<)なことから
ワッハハ(^▽^)なことまでね。

でも、
出来ごと以上に、
巡り逢いが
私や一緒にいる方々に引き起こす
+αな作用って
なんて凄いんでしょう
って思います。

私ひとりでは起こせないもの。

だから、
私にできることがあるとしたら
+αな作用が
良い方向へ傾いて
進んでゆくといいなあ
と願って
本当にそうなるよう
働くことです。

 昨夜はバイオリニスト金子飛鳥さんと
彼女の奏でる生きた音楽に
巡り逢いました。

どんな形に進んでゆくのかな…?
とワクワクです☆

花火師たちの一人みたいな気分だなあ
(^-^)

八月六日(水)にBAJにて
深町純さん、金子飛鳥さんとセッションさせていただきます。

素敵な花火を打ち上げたいです
(^-^)

そして、
巡り逢わせて頂いた方々に
心からありがとうございます
(^-^)

 

 

△Top

2008年05月14日

にほんてきなもの

ある方から、前回の公演の身体表現に『日本的なもの』があったと感想をいただきました。


日本的な身体

日本的なものの考えかた

日本的な…もの

とらえどころのない『日本的な』るものだけど、確実にある『日本的な』もの。

それを解き明かしたいばかりに、踊りに踏み込んだとも言える私ですが、いざ言の葉だけで説明すると、誤解される、とてもつまらない結果になるのかもしれない。

日本的なもの。

でも、決してナショナリズム的にではなくね、感情的にではなくね、これからも、謙虚に、この世界をみつめながら『日本的なもの』を私の中へ流れ込ませて表現してゆきたいなあと、思います。

△Top

2008年05月09日

結局引きこもりな言葉、から脱するために

『人の欲は、果てることがない… 』

60過ぎた自分を嘆く大学教授らしき人の言葉に、おおっ!と思いました。
なぜなら、人とは己だ、と認識ができた方の発する機智に富んだ言葉だな、と私に伝わったからでした。


他者との出会いと豊かな交流は、己をより知り、より心を磨き、自らを整えることのできる鏡のような働きがあるんだと思います☆★



人は人に向かって自己投影や自他比較をしやすいです★☆

だからね、何か言われた側の他人は、人格や存在を帳消しされて扱われちゃってる事態に陥ることがあります 叫ぶ
そうでない発言ができるには、他人と自分の分別ができる大人になることです ウィンク

でもこれ、簡単じゃないあるね
(・・;)))

でもこれ、できてないと感情に支配されすぎたり、周りを把握する余裕がなくなってしまうあるね
(+_+)

恋愛の泥沼はその際たるものね。
曇りガラスみたい クール
そんで頭ゴチンコして割れちゃったりするです 叫ぶ

★(/_;)/~~★

だから、他人に対して感じる不満や欲求というものは、かなり感情的になってる状態でもあるからね、つまるところ、当人の抱えた問題から起きてることがあります。

これ、かなり他人への甘えな気がする。

お母さんにダダこねて困らせてるのと変わらないです。スサノオみたいに。
あるいは娘や息子に自分の理想を押し付けて、あるがままの姿を認められない親とか。

他人への不満発言があんまりに多いと、結局、発言しちゃった方の評価が、低くなりがちです★
どこ行っても同じ行動繰り返すなと、判断もされちゃうから、社会はかなりシビアです★★★★★


他人へ向けての言葉の使い方の下手うま加減で、人は結構人を見ます。
だから発言って、足をすくわれることすらある、恐ろしい行為でもあるなあ、と思います 悩む


だからね、大事な場面での言葉の使い方って、綱渡りみたいだなあ、と思います。

自分の足元をよく察知してバランスとらないと、地に落ちちゃうから。
★~(>.<)y-~★

でもね、小鳥だって最初の巣立ちはヘ飛べなくても巣から飛び落ちるのでした
☆(@_@)☆

最初から綱渡りができる人だってそんなにいるわけじゃないし、マニュアルなんてのも、ないからね、謙虚に何度も自分で筋トレや練習してバランス感覚磨くしかないんだろうな…と思いまする。
舞台立つ前みたいにね☆

 人前に立つと緊張するし、逃げたくなることはあるかもしれない。
舞台に立つ直前みたいにね☆☆

でも勇気出せば、とても楽しい世界が待っていたりするかもです。
舞台立った時みたいにね☆☆☆

そして…そのあとのゴハンやお酒は、とっても美味しいかもです。
舞台のあとの打ち上げみたいにね☆☆☆☆☆

だからね、私は人との会話を楽しみたいのでした(^0_0^)

 

△Top

2008年05月06日

諦めからのステップ☆

以前、ある方と飲みながらお話をしていてました。ダンスについて熱く語っていたはずなのに、

『君は欲がないね~』と言われてれて、はたと気づきました。。

私って、ダンス、欲からやってないのかしら??

そのときは、よくわかりませんでしたので、そのまま聞き流してしまいました。。


でも、正直ぶっちゃけ、ダンスで世界に名を上げてやるんだ~という欲望は、ないのでした☆

舞台で踊るのは好きなんだけどね★ 

でも、オーディションとか、ダンスアワードとかに応募するっていう欲望がまったくありません。

以前は、私って不真面目かな、ダメ人間かな、応募しないとまずいんじゃないかなっと思って、2回くらい挑戦したのだけど、募集要項とか、志望動機とか、コンセプトについて書きなさいという欄を見ると、たちまち、萎えてやる気なし子状態になります 叫ぶ

 

そもそも、今ダンスをしているそもそもの発端も、実はかなり後ろ向きです。

そもそものきっかけは、大学時代に西麻布のクラブでファッションショーをするから振付してよっていう友達のお誘いを受けてしまったことでした。

その頃の私は、ダンスなんて、私もう無理無理って諦めてました。

小学校4年生の頃に『あなたにはダンスの才能ありません!』とモダンダンスの女の先生に断言されて衝撃を受けて以来、私ってダンス、ダメなんだとやる気なしでした。
(でもね、ディズニーメロデーとかにあわせてモダンダンスさせられてちゃってたので、やる気全然おこんなかったんだけどね。大人がイメージするイノセントな子どもらしいダンスを強要させられてる気がして・・ 照れる

だから、ファッションショーの振付を無理矢理押し付けてくれた友達がいなければ、そしてその振付が舞踏っぽいと指摘されて舞踏に出逢ってなければ、私は今こうして踊ってすらいないのでした・・・。

運命ってやっぱり不思議なものです。

でもね、後ろ向きから何かを始めることって、アリなんじゃないかなって、ここ10数年間のダンス歴を見ていてもおもいます。後ろ向きな割には、かなり色々な貴重な体験をさせていただいたので、ありがたいなあと、心から思ってます。ダンスを通して、人として成長させていただいたことが、何よりもありがたいです。

 

で、今日もコンテンポラリーダンスを受けに行きました。

行く寸前まで、行くの辞めちゃおっかな~と迷いに迷いました。。。

しかし、迷って入った喫茶店で、ガイジンに馬鹿にされない英会話を女の子たちに熱く教えている男の子の姿を見ていて、あ、諦めちゃいかんのか。。っつうか、そもそもできないんだから諦めて行ってしまえ~と一気に会場に向かったのでした。

そして、行ってみて良かったでした。喫茶店の男の子に感謝です キス

諦めてしまうと、体の無駄な力が抜けて、無心に楽しめるのでした。

諦めるって、自分をあるがまま認めるってことかもしれないですね。

私がダンスのなかでも舞踏になぜかご縁があった上に惹かれてしまったのも、舞踏が人生そのものを踊る要素が強かったからかなと思います。
あるがままの人生だからね、成功した人生じゃなくたっていいんだよっ、それに、マッスルシアターみたいにアクロバティックじゃなくったって、バレエみたいに素晴らしく踊れなくたっていいんだよっ、ていう優しさというか懐の広さがあるから、舞踏って素敵だなって惹かれた部分もあったのだと思います。

とはいえ、GW中学んだコンテンポラリーは、舞踏の稽古と差して変わらない内容もあったりしました。
身体の使い方から考えてみると、コンテンポラリーと舞踏の差って、ない、というか、今の時代、あんまりなくなってるのかな。。

だから、今日も一体何が舞踏なのかしら、私ってなんで舞踏にこだわってるのかしらって踊りながら疑問がよぎったんだけどね・・・。

でも、前回のソロ公演、白塗りもしてなかったけど『お前のは舞踏じゃないぞ』と否定する方がいらっしゃらなかったところからすると、客観的に捉えてみても、私は舞踏をしていたのだと思います。共同幻想かもだけど・・・。

まあ、私の頭では分らないことは諦めて、これからは斜に構えずに踊って行こうと思います。

だって楽しんだモン踊るのって 笑う

 

 

 

 

 

 

△Top

2008年05月04日

日本は、イクサしてたはずなんだけど

最近、和や調和について考えてて、日本の文化に関して引っ掛かったことがあります。

それは、『首狩り』です…

私が間違ったことを言ってなければ、いいのだけど、無知は承知で敢えて書いてみます~

私は歴史は詳しくないけど、その昔、日本で武士が台頭していた時代に、合戦で大将の首を討てば、戦は終わったことは知ってます。

首を斬るって、今の日本では、野蛮に聞こえるかもしれない。
明らかに犯罪だしね。
私も生首は見たくないです(+_+)。

でもね、大将の首を斬ることが、戦いを終わらせるルールとなっていた文化が確実に昔の日本にはあった。。。

いくさのルールは首斬りだけじゃないです。

・合戦の前にはかならず名乗りを上げた。
・谷間での奇襲はダメダメだった(ハズです)。
・身分の高い敵の首を取った者は褒美がもらえた(から兵士も、その奥さんも、敵の首を集めることは喜ばしいことだった)
・身に付けた鎧や兜といったら、めちゃくちゃ重かった。

 などなど、たくさんルールやら制約があったんだと思います☆

歴史資料館やらテレビやらで目にしたことがある、でっかい海老だのしゃちほこみたいなのが頭に乗っかった兜を思えば、明らかに、殺傷ごととしては非効率ないでたちですよね…。馬だってサラブレッドじゃないし。

 その上、合戦の前だって、出陣前の武将たちが茶道や華道、能をたしなむ、まさに日本の伝統だと誇らしげに現代人が言う文化が花開いた時代だったりした… ということを考えると、首狩り合戦を繰り返していた日本人は、果して野蛮だったかしら?民主主義や人権などのあろうはずもない頃の、お国が集まった島国の人々の精神構造は、未開地のバーバリアンなものじゃなかったんだろうな、と思います。

むしろ、大将の首を斬ることで、他者、他国との間にバランスを保つ機能があったんじゃないか、愚かな大量殺戮を防ぐために、高度に磨かれ、様式化すらされた戦争ゲームをしていたんじゃないか、とすら思えてしまいます。

(これは、日本以外の首狩り族も、同じだと思います)

とはいってもやがて下克上の時代になったり、信長や鉄砲が登場して最後に家康が天下を平定したのだから、いくさは結局良いものだとは言えなくなってしまったのかな、と思いますが。。


でもその江戸300年の平和な時代も、テレビで見る時代劇みたいにハラキリの後は首を斬ったのだろうし、関所では首を斬られる人がいただろうし、歌舞伎には首斬りのシーンがたくさん出てきたりします。(いまだに歌舞伎でご覧になれますね★)

私には、江戸の社会の辺境に首を追いやることで、いくさの時代後の日本人の精神のバランスをはかったりしてなかったかな、しかもかなり無意識的にだったりして…、と感じます。

そして、文明開化以降は首を意識しない文化に変遷を遂げたことになるのかもだけど、果して今の日本人は、まったく、いくさの精神が骨身にすらなくなった文明人に生まれかわったのかしら? と最近、疑問です。。

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2008年05月03日

苦労は買ってでもしてみました~

GW中も、実家に帰らず、旅行も行かず、ダンスのワークショップに参加です。
暇さえあってもなくてもダンス馬鹿なのでした。 笑う


今回はコンテンポラリーダンスを受けてます☆


私にとっては崖から飛び降りるくらいな気分です(((^_^;)


なぜならば、コンテンポラリーダンス、大嫌いだったのでした 叫ぶ


そもそも振付けられたダンスは、なんでも毛がつくくらいの嫌い加減です。
なぜなら、振付けをするのも覚えるのも苦手だからです。 あっかんべー


でも、ふと気づいたんだけど、苦手だから大嫌いって言い分も、かなり偏った言い訳なのでした。
なぜなら必要に駆られれば文句も言い訳もいわずに振付覚えるし、振付もするのでした。。。つまり、振付が面倒くさかったのでした 叫ぶ
しかもコンテンポラリーダンスよく知らないくせして、嫌いってのはどうよアンタ?偏見もいいとこよっ!!と自分に思ったのでした(+_+)


また少し、オトナになったのでした キス


でもね、ワークショップ受けてみたら、やっぱり
逃げたいキモチでお尻に火がつきそうでした 悲しい


振付けが始まるや、頭真っ白になって、危うく立ちん棒になるとこでした(+_+)が、イヤイヤこれじゃイカンカイン 叫ぶ ~と、気を取り直して子供時代のバレエ教室さながらに、周りをチラチラ盗み見しながら、なんとかついてゆく努力をしました。。ついてゆけてませんでしたが・・・。


形を真似るのでいっぱいいっぱいで無駄に汗いっぱいかいちゃったけど、やっぱりコンテンポラリーダンスもダンスだからね、踊ったあとはスッキリ爽快です 照れる


だからダンスは辞められないのでした 笑う


そして初めて舞踏を受けて、取りつく島がなくて途方に暮れた時の私を思いだしました。 悩む


出来ないことついてゆけないことって、嫌いなことになっちゃうことがあるけど、結局はキモチの持ち様なんだなあと思います。


キモチが、出来ない私にオープンになれて面白がれてたら、もしかして嫌いになることってなかったんじゃん、と思いまっす。


それに、今日はお陰さまで色々なヒントを貰えたので、苦労してみて良かったです。


明日も、おおらかなキモチを持って、ダメダメな私なりに、ついてゆこうと思います~ 笑顔

 

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