書道、武道、華道・・・
道がつくものは、根底が同じだなあと、つくづく思います。
今日は音楽家の種子田郷さんと、お話をしました。
ジャワのガムランの話から、多岐に渡るダイアローグが尽きませんでした。。
そして、止め処ないお話の端々に、『道』がみえました。
ら、なんと種田さんは少林寺拳法や空手をされていたとのことで、武道のスピリットに行き着いたときに、なるほど!と思いました。
私も子ども時代に剣道や合気道に若干憧れ、思春期に華道にハマり、大人になってからは武道を時々かじったり、今も書道を学んだりしてますが、舞踏も実は『道』の世界だなあと感じています。
だから舞踏を選んだ、とも実は言えます。
でも、だからといって『ダンス道』とか『舞道』というのもどうも浅はかな感じで、好きじゃないだけどね。
ところで、この世界には非凡は少ないですね。
それはなぜか?
私が思うに、もしこの世界が天才だらけだったら、この世界は消滅するんでないか?と思います。
人間の脳みそがフルに稼働していないのと同じように、人間の集団も一つの生命体として考えてみれば、人類は天才だらけでは生存できない定めなのではないかと思います。
だから、私が凡人なことを嘆く必要はあんまりないなと、納得しています。
でも、私が凡才だからといって、のほほんと何にもしなくていい訳ではないのよね。。
生存したい以上は、社会の中でなんとかして生きないとだしね。
かえって、凡才が世界を素敵なものに変えてしまえる事だってあるしね☆
でも、凡才が世界を変えるには、謙虚な姿勢で『道』をたどることが必要なんだと思うです。
その『道』は、過去現在未来に向けて、たくさんの人がたどる道です。
たくさんの他者との関わりの中に成立する道です。
その道を作り上げたのは一人の天才かもしれない。
でも、『道』を生存させ続けてきたのは、たくさんの多様な凡人の、地道な努力だと思います。
そして『道』をたどっていると、例え満員電車みたいにたくさんの雑多な人の波にもまれても、正気に楽しく生きてゆけるのかもしれません。
でも、個人主義や、セルフエゴな自我に安住していては、『道』にはたどり着かない。
だからといって、全体主義に陥るのも、『道』ではない。拝金主義に陥った『道』もちょっと違うかも。
無我夢中というよりも五里霧中って感じ。『道』を究めるってバランスが難しいなと思います。
薄墨や、陰翳の絶妙な塩梅が個人のさじ加減として重視されるようにね。
なんか、バランスボールの上に乗っかってるみたい
まあともかく、これからも足元をみつめつつ、他者との付き合いを大切にしながら、私に付与された『道』をどこまでも進んで行きたいと思います。




