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◎原点ループのプールのループ◎

過去の日記を開いてみると、なんだ先に同じようなこと感じたり思ったり考えてた人がいたんじゃないか、と思うことがあります。。。

最近は思索とその顕現の渦巻き上がるようなループが、私の創作の道のように感じています。

川から天へ向かって舞い上がる龍のように…。

謙虚さを忘れずに、良い方向へ進んでゆきたいです☆

 

一年ほど前の日記です。 (敬省略m(__)m)

 ソフーロクの「太陽」では、イッセー尾形扮する昭和天皇の「あるがまま、ヒロヒトという人間である」ことを日本人、日本社会が認めたがらなかったことの苦しみと葛藤を描いています。
そして天皇ヒロヒトを包み込むように理解していくマッカーサーとの心の交流も描かれています。

単に自分の人生とは関係ない歴史上の出来事、としてみていれば、ただの歴史映画でしかないけど、これは今という日々を生活している私たち個人個人だって他人事じゃないと思う。

 人がそれぞれ感じるもの見えるものは、その人自身の意識によって認識させられる。
所詮人間は自身の脳が作り上げた理想や世界観からは、そう簡単には離れえないのでしょう。

その認識が複数の人々に共通認識、つまり社会の常識となれば、なおさら「あるがまま」の人間性を認めてくれる人は、少数になっていくのでしょう。

私個人の体験では、やっぱり創作をすると特に、こういう事態に衝突します。
そして葛藤し乗り越えたいものだと常に願って創作の道程を進んでいる気がします。

創作は、無から有を産み出すものだから、手探りで進むしかありません。
直感的に、自分の中から湧き出てくるように或いは外界との偶発的な出来事に呼応するように、とらえどころのない、あいまいで複雑なプロセスを経て何かしら形が表れ出てくる。
それを更に吟味し、よりクリアな形にしていくことで、意義が生じ形式がうまれてくると私個人は思ってます。

 だから、創作する個人は、一時期外界からシャットアウトして孤独な闘いをすることもある。
生きている以上は外界からシャットアウトなんでそもそも出来ないけどね。。でも意識上は、できるかぎり、そうします。
だからそれは、『だれそれさんの物まね』ではなく『あるがままの自分』から生まれるものだと思っていいのだと思います。もし結果として表現となったものが、何かに近くなったとしても。

『最初からAを意識してAに近くなる』のと、『Aを意識していたわけでないのに結果としてAに近くなってしまった』のでは、プロセスが全く違う以上、別物なのだと思います。

そして私が表現したダンスを他者が『舞踏』と見るか『舞踏でない』と見るか、『伝統芸能の何それに似ている』と見たり、『どこそこの所作が何々という型の変形だ』と見たり、『創作バレエじゃないか』と観るのは、実は『あるがままの岡 佐和香』の姿や人間性を認識しているのではなく、その観る人それぞれの主観や経験、その人の脳が作り上げた理想や世界観を通して認識された『岡 佐和香』なんだと思う。
だから観る方にとっての『そうあるべき、そうであって欲しい岡 佐和香、そうであらなかった岡 佐和香』であったりすることは、あると思います。

でも、それでよいのでしょう。
人に一つの脳と身体があり、一つの感覚組織があり、一つの意識があるということは、それぞれの認識に違いがあること自体が生命のあるがままの姿だということだと思います。
脳の構成自体、AさんとBさんとでは違うわけだから。例えばAさんの脳りょうがBさんのそれよりも太ければ、感受力、認識力は異なるのは当たり前なことなんだから。
そして経験も人生の歩み方も個人個人違うわけだから。
だからそれでいいのだと思います。

 でも、その個人の認識、他者と自分の認識が異なるということを謙虚に認識せずに、『こいつはこういう奴だ』とか、決め付けてほしくはないなあと、思います。
そしてこんな私の日記を読むだけで、私という人を、そしてダンスを理解できるとも、思って欲しくもないなあとも、思います。
そのある意味『誤解』は、モチロン『あるべきでない』とは全く思わないけど。
かえって誤解があるからこそ、互いの違いを認め、より互いを理解できるようなりたいと『調和』を願うのだから。そこに愛や幸せって生まれると思うし。
そもそも誤解ではなくて、最初から互いに共感できたり同じように認識できることもあるから、だからこそ、他人の誤解を恐れず臆せず愛情をもって表現したいと思うわけだし。


 話は映画『太陽』に戻ります。
最後のシーンは非常に印象的です。人間宣言をして意気揚々とした天皇が、皇后と再会し再会の歓びを分かち合い、しばらくぶりの子供たちにも会いに行こうして、執事にふと『人間宣言を録音した技師の若者は元気か?』とたずねます。すると、執事は『自決しました』と答えます。天皇に『周りは止めたんだろうな』とたずねられた執事は『いいえ』と答えられ天皇は固まってしまいます。
そしてたまりかねた皇后に手を取られ、部屋から走り出てゆきます。

この悲劇は、救いようもない悲劇だなあと、思います。
これは映画の中だけのフィクションではなく、似たようなことが、ここ日本で現実に起こったことだ、ということが、とても重みのある、残酷で深刻なシーンとして私に認識させられているのだなあと、思います。

しかし、イッセー尾形の役者魂は凄いなあと思います。
ただのおかしな一人芝居をしている人ではない。
天皇を臆せず演じる姿をみて、この人はホントにエンターテイナーなんだなあと一層思いました。
サービス精神があるからこそ、シリアスなものをよりリアルに分かりやすく表現しようと格闘されている方なんじゃないかなあと、感心します。


学ぶべきことがとても多い映画でした。

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