先週末は、縄文の風を感じる諏訪ツアーに参加しました。
生まれは長野でも、子供の頃から神奈川で育ちましたが、両親の故郷の長野に帰省する度に、ワクワクしたものです。
車から八ヶ岳などの山々を見る度に、心が踊り天をも舞う気持ちになったものです。
大人になっても、長野へ行くと山々に心踊るのは変わりません。
でも昔ほど、素直にその気持ち良さを味わえていない気がしていました。
今回の旅では本当にタイミングよく、自然を大切にし続けてきた諏訪地方の文化と歴史に肌身で触れることができました。
石棒を祀るミシャクジ信仰の小さな祠たち、山々を祀った、自然信仰の跡に、温かく迎えて頂けたように感じました。
そしてガイドさんが親戚のおじさんに顔や話し方が似ていたり、声をかけてくれたおじいさんが父方のおじいちゃんに顔がそっくりで、びっくりしました。諏訪の方々に、そこはかとした繋がりを感じました。
そして諏訪大社に入って拝む直前に、父から電話が入りました。偶然って、ホントに不思議に感じてしまいます(^-^)
旅を終えた後の今、私の心の中で大切な萌芽が、起きているように感じます。
『人間を超えた存在を認識し、おそれ、驚嘆する感性をはぐくみ強めていくことには、どのような意義があるのでしょうか。自然界を探検することは、貴重な子ども時代をすごす愉快で楽しい方法のひとつにすぎないのでしょうか。それとも、もっと深いなにかがあるのでしょうか。
わちしはそのなかに、永続的で意義深いなにかがあると信じています。地球の美しさと神秘さを感じとれる人は、科学者であろうとなかろうと、人生に飽きて疲れたり、孤独にさいなまれることはけっしてないでしょう。たとえ生活のなかで苦しみや心配ごとにであったとしてもかならずや、内面的な満足感と、生きていることへの新たなよろこびへ通ずる小道を見つけだすことができると信じます。
地球の美しさについて深く思いをめぐらせる人は、生命の終わりの瞬間まで、生き生きとした精神力をたもちつづけることができるでしょう。
鳥の渡り、潮の満ち干、春を待つ固い蕾のなかには、それ自体の美しさと同時に、象徴的な美と神秘がかくされています。自然がくりかえすリフレイン—夜の次に朝がきて、冬が去れば春になるという確かさ—のなかには、かぎりなくわたしたちをいやしてくれるなにかがあるのです。』
(『センス・オブ・ワンダー』レイチェル・カーソン)
これから、もっともっと、生き生きとした精神でこの世界を駆け巡りたいです。
そして、今日は友人の写真モデルをしました。
メイクさんがインドネシアの島から来た、日本一年目の日本語が上手な方でした(^-^)
その方に舞踏の話や長野の自然やお祭りが素敵なんだとおしゃべりをしたら、目を輝かせて聞いてくれました。好奇心溢れる異国の方に、舞踏や日本の文化を、きちんとお伝えしたくなりました。
舞を通して、この世界に溢れるセンス・オブ・ワンダーをお伝えることができたら、と心は踊るばかりです(^-^)






