小学校4年から中学3年まで、お世話になった塾の国語の先生が、よく日本語をローマ字表記にして「なんだかわかる~?」と質問しました。
英語みたいな、どっかの外国語みたいな、でもよく読むと、「たこたこあがれ」とかだったりして、かなり好きな先生でした。
その先生には、いつも心配されっぱなしでしたが、その先生がいなければ、私は受験戦争を乗り越えることができないくらい、普通の学校の勉強ができなかったのでした。
知識を頭に詰め込むということが、私にはできないのだけど、そういう人間でも、この社会を生き延びなきゃいけない。そのための手立てを陰に陽に教えてくださいました。
人と人との出会いが、困難を乗り越える力になるんだなって、今更ながら、ありがたく感じてます~。
とやべ先生~サンクスです!
そして、その先生を通して出会ったのは、それだけじゃないです。
古典や古文に出てくる素敵な歌人や、日本を代表する詩人や作家でした。
あまりに色々と教えてくださって、かなり忘れちゃっているものも多いのだけど・・・・、中でも少女時代に不思議な魅力を覚えたのは、柳田國男の「遠野物語」です。
そして、教科書に出てくる宮沢賢治の授業も、ただの塾の国語の授業を越えて、宮沢賢治の真髄に触れることができた素敵なものでした。
そのほか、夏休みの宿題として、和歌や俳句も書かされて、かなりハイレベルな詩心あふれる授業をしてくださっていたのだなあーと今更ながら、ホントにありがたいです。
あの時に素晴らしい教師を通して、日本の素晴らしい物語や詩歌に出会えたから、ある意味落ちこぼれな私が社会の波に飲みこまれずにすんだのかもしれない。。 いや、かもじゃなくって、そうなのでした。
本当に学ぶということの楽しさを、学んたのでした。
さてと。
創作が始まると、自分との闘いです。
すぐに構成を固めたがる自分と、いやいや、まてよーもっと待て!という自分が、私の体を占拠しようと葛藤してる感じです。
そんな状況なので、新たな挑戦をします。
小学校5年の時に、心から歌えなくなりました。。
それはね、歌うことで、自分を傷つけたくなかったからです。
当時は目立てばいじめの対象になる状況下にいて、大きく歌うことすら、できなかったでした。
小学校って、大人にはわからない、異常事態って結構起こるんですよね。
ちょっとでも目立てばいじめの集中攻撃にあうなんて、ある意味、戦時中の非国民扱いに近かったと思う。
恐怖以外の、何ものでもありませんでした。
生き残るために、自分を傷つけないために、殻に閉じこもり、自分の外の世界と響きあうことを辞める。
それは、しかし、やっぱり、勿体ないです。
一度きりの人生だからね、今をきちんと楽しまないともったいないですっ
そんな緊急事態から脱して遥か~な月日を経た今でも、その心のしこりは、わだかまったままです。
でも、音楽を奏でるように踊りたいならば、閉めてしまった自分の扉を、開かないとね。
最近はそう思ってます。
でもそう思ったのも、ここ最近の素敵な人たちとの出会い、そして「すべての物は響きでできている」と、ブログを読んでメールくださった、歌を歌っている友人のおかげです。
「もし響きをそのまま形にされているとするならば もう それは歌っている といえるのではないか」
そうなのかもしれない。
心が晴れ晴れするように、今日は扉をひらいてみます。
友人に、感謝です~
そして、「体はどこも悪くないけど、心が悪い」「音楽とともに踊りなさい」と以前私に教えてくださった、韓国のシャーマンのおばあさんにも、感謝しなくてはなりません。
その意味が、今、ようやくわかりました~♪





