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危機こそ契機

 

電車に乗っていて自殺者の放送を聴くと、やるせなくなりますが、正直、うんざりもします。



15年ほど前、従姉が自殺をした時は、彼女は村の、大きな橋から落ちました。
人様にご迷惑をかけなかった、ということが、身内にしてみれば、小さな安堵でもありました。



自殺したいという心の働きの裏には「自分を変えたい」という気持ちが働いている。
これを「ディオニソス的な力」が働いているという説明だったと記憶しています。
学生時代、神話学者、ジョーゼフ・キャンベルの本で出会ったのですが。

回復しようとする力が働いた時にそういう感情が起こる・・・。

従姉の死後、自殺を不快でもあり、不理解でもあった私はこのことを知って、更にやるせなくなりました。
心の病から回復しようとしていたのならば、あともう一歩のところだったならばなおさら、そのチャンスになぜ手を差し伸べられる人が、周りに誰もいなかったんだろう。


ひとつの大切な命を亡くしてしまったという喪失感は、多分、私が踊る根源のひとつになっています。
そして、人身事故の放送を聴く度に、いまだ身もだえは生じてしまいます。
個人的な理由からの踊りの衝動ではありますが、日々社会の中で人にまぎれて暮らす私は、個人の枠を超えて、他者に対する働きかけをしたいという衝動にまで駆り立てられてしまう。そう感じる毎日です



今日は、岡本太郎記念館で「沖縄文化論ー忘れられた日本」を購入しちゃいました。

今日、岡本太郎さんの絵を眺めていて、ダンス的だと感じてしまったのでした。
それは、太郎さんが、古来、日本の土地から発したダンスを誰よりも正確に、的確に捉えられていたからだったと、この本を読んで痛く感じました。


(越後獅子の振りに関して)
「まったく舞踊性とは何の関係も無い。観念の遊びだ。こんなのにいい気になっていたなんて、救いがたい頽廃だ。風俗や約束ごとを知らない者には、何の意味もない。伝達不可能である。・・・青二才、若僧にはピンとこないで、年をとると面白味が身にしみて解ってくるってのは、そこが日本芸能の深いところだなんて大ていの人がいうけれど、私はそうは思わない。ずぶのシロウトにも、子供にだってグンと訴えかけてくるものでなくちゃ仕様がない。・・・
 その点、沖縄舞踊は・・・いかにも舞踊そのもの、その根源的なものから発している感じがある。だから約束ごとを全然知らなくても、見ていて面白い。身体がリズムにのって動き出すような、なまなものがある。そういう根のようなもの、無邪気で、単純な感動が芸術の魅力なのだ。
 ・・・私はもっとひろく日本文化に通じる問題としてこれを言っているつもりである。そしてこれはこの沖縄文化論全体を通じての私のモチーフなのだ。」


昭和の時代の日本一鋭い、批評家の一人でもあったのでしょう。
この太郎さんの文章から受けた痛みは、更にダンス馬鹿な私の踊りへの衝動をアホにまで掻き立ててしまうものですっ。
こんなこと言われてしまっているんだから、何とかしなきゃだよね?と舞台を直前に感じてます。


そして、この本のしょっぱなから、あったま殴られちゃった感じでしたが、柳田國男の「山の人生」について触れられています。
美濃のある貧しい炭焼きの話。女房が死んで、男の子を育てていたが、そこに小娘ももらってきてしまった。炭はまったく売れず、飢えた子供たちはお父さんに斧で殺してくれとせがむ。すると、男は殺してしまった・・・。

この話の痛さに、生命の美しさ、優しさがある、と。

そんなお話から始まった沖縄の文化論は、本当に痛いものでした。
人頭税に苦しめられ、虐げられた民衆の身もだえするような痛みから生まれる歌、そしてダンス。
一方で、自然をおおらかに歌い、舞うこともある。

歌も、ダンスも、厳しい生活の中、生死の狭間で「生きる」ことと重ね合わせであることに、本当の意味での日本土着の歌や舞の姿があるのではないか。

そんな太郎さんの芸術に対する熱い思い、今の時代を生きる私の身体はどうも共鳴してしまうようです。

すでに、私がまだ見ぬ沖縄は、太郎さんの鋭い眼が捉えた沖縄ではないと感じます。
でも、太郎さんの文章から立ち昇る沖縄のカルチャーは、いまだに温存されていて、私にずしんと伝わってきます。

「南の潮風とともに、まだ神ながらのにおいが吹き流れているこの天地では、ふしぎに日本文化の過去、そのノスタルジアがよみがえってくる。感傷ではない。ここを支点として現代日本をながめかえす貴重な鏡なのである。・・・私はますます日本、それもその風土と運命が純粋にいきつづけている辺境に強くひかれる。そこには貧しいながら驚くほどふてぶてしい生活力がある。その厚みは無邪気で明朗だ。近代化されるとともに奇妙にゆがみ、希薄になってしまった日本人像とは違う。そういう隠れた生命力を掘りおこし、そのポイントからもう一度、日本人として、芸術家として、この現実に対決する生き方を究めたい。・・・私がここで展開したいのは沖縄論であると同時に、日本文化論である」


そして、われに立ち返って・・・。
今回、なんとなーく縄文土器をモチーフに選んでしまったのだけど、自分は何をしようとしているのか・・・。
このまま、恐れずおごらず、ほがらかに♪、自分の直感を信じて、突き進んでゆきますっ爆弾

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