朝起きて、ふとテレビをつけたら・・・
和歌山県かつらぎ町の干し柿作りの光景でした。
干し柿作り、とっても素敵だなあと思いました。
家族が集まり、地域の人も集まって、皆で深夜まで干し柿作りをする。
地元の人たちは、干し柿作りに誇りを持っていました。
昔から脈々と続いた干し柿作りは、ただ単純に「干し柿」をつくるため、売るための作業じゃなくって、人と人とが温かく繋がるコンプレックスな空間でもあったんだろうなあと感じます。
そして干し柿一個は、単なる物体や商品としての一個、じゃなくって、たくさんの人と人が温かく繋がってこそ出来上がる、複数の命の結晶としての一個なんだと感じます。
私じしん、今月12日に新作を作った時も、人との繋りを大切にしました。
それというのも、水煙土器を見つめていたら、心臓にも見えてきて、ドキドキしてしまったからです。
しかも当時の作者一人の心臓ではなくって、当時の人たちが寄り集まってできた一つ心臓です。
そしてこの心臓の周りで今、私たちが集い、踊り、奏で、お客様に鑑賞を楽しんでいただくために、何が大切なんだろうって、考えました。そして舞台裏でも表でも、今私にできること、やってみようと思いました。
個人的なこだわりではあるけど、たとえば・・・
チラシは、写真撮影から文字デザインから、手作りでした。
パソコンもWORDのみ使ったし、印刷はインクジェットで一枚一枚刷り刷りしました。なんで、結局夜なべしても500枚くらいしか、チラシ刷れなかったんだけどね。
節約のためインクもカートリッジに自分で注入したんで、手が黄色になったり赤になったり、凄いことになっちゃいました・・・。
でも自分でやってみたら、いかにこれまで簡単に人や業者にチラシを任せきっちゃってきたか、よく分かったし、人にはどうしても伝えられない色とか雰囲気とか、試行錯誤するほど自分の思い通りになることの喜びも感じました。
そして、小学生の時に子ども会の案内を皆で作成したことも思い出しました。
町内会の会議室の中で、母や、友達や、友達のお母さんたちとかで手が青くなりながらも、わら半紙に印字をしたこと、印刷終わって会議室のドアを閉めた夕方の街の光景や達成感とか、思い出しました。
当日も、お昼時間は、冷めたお弁当をおのおの食べるんじゃなくって、定食屋さんでもいいから、近くのお店で皆でテーブルを囲んでわいわいしゃべりながら温かいご飯を食べるとかもしました。
KONTAさん福島さんの古代史ばなしが盛り上がる、とっても楽しいランチタイムでした。
たいしたことないこと、時間の無駄に思われてしまうことかもですが。。舞台を作るにあたって、そういうあったかい灯みたいなハプニング、創作をするにあたって、私には大切なことだなって、感じています。
一見不便に思えること、昔は当たり前だったこと、忘れてしまっていたこと、立ち返ってみることって、時に人には必要なんだと、改めて感じた経験でした。
そして時間って一定に流れてなくって、ときに膨らんだり、急激に流れたりしてるように感じています。
時の流れの中で、その空間を、一瞬一瞬を、いかようにも豊かに膨らませることができる。
それって、ものづくりの醍醐味です。
舞台はたくさんの命が集まった、生きた空間。
来年も、丁寧に舞台を磨きあげてゆきたいです。
今朝のテレビに映った干し柿を見ていて、伊那の田舎を思い出しちゃいました。
90を過ぎたおじいちゃんも、来年90?のおばあちゃんも、今では呆け防止の意味もあって干し柿をたくさん作って、軒先にたくさん吊るしてるんだるけどね。
来年は私も干し柿作りにいこうかなって、思いました。
何か大切なものに気づきそうな、気がします。
年賀状に書かなくっちゃ。。。





