昨日はサラウンドスケープご専門の沢口真生さん宅で、マルチサラウンドを改めて体感です。
イーグルスのホテルカリフォルニア、当時の音をリマスターしたのを聴いたけど、全然CDとは違うのでした。。
ギターの音が細かいとこまでクリアに聴こえるのが特に凄いっす。音が立体的で、エナジーフローが起きてる感じ。生な現場の熱気が曲の中に封じ込められていたのでした。
CDだと、2チャンネル(2つのスピーカー)からすべての音を出すしかないから、音が凝縮されてしまう。
すると本来の音が潰れてきこえない。しかし、セールスのためには潰れて劣化した音を売るしかない。
でも、技術の進歩が進んだ今でも、、いまだ世界レベルで、技術進歩とは逆行して実現できない壁がありすぎる。。
そして、その壁を乗り越えるのは、結局個人の力。イーグルスのリマスター版をマルチサラウンドで作れたのは、商業よりもクオリティにこだわった個人のパワーだというのは、聴いててもジーンと来た、よいお話でした~
マルチサラウンドに包まれて、音楽のクリエイションに関する様々なお話を楽しんでましたが、マルチサラウンドを想定して作っている音楽家って、実は世界でも少ないようです。
日本を代表する一人が富田勲さんだそうです。
富田さんの代表作の「源氏物語」の作り方を沢口さんから伺っていて、驚きました。。
バイオリン、フルート、等々の全パートを個別に録音して、組み立ててゆく。創作の過程では、全パートが一緒に演奏して、録音するということがないということに、驚きでした。
一人の頭の中で事前に緻密に計算した上で、パートパートを緻密に作り上げて、一つのシンフォニーへと構築してゆくから、そこには偶然性というものが存在しない。他の入り込む隙がない。
これできる人ってのは、世の中数限られてるんじゃないかと思います。
もし今モーツァルトが生きていたら、もっと違った作品を作っていたんじゃないかとも思ったりします・・・。
モノを作る時に、大体2タイプに分かれると思うけど、
①頭で構築したものを作り上げる
②創作のプロセスで発生する偶然性を取り込んでいく
私は②のタイプだから、①のタイプの創作って、すげーって思います。
でもね、②のタイプであることは、自分としてはとても満足もしてます。
なぜなら、そこには「偶有性」が存在するからかもしれない。
「たとえば、かつての修行者の多くは、ある種の悟りに至った時、「ああ、何も心配することはない。すべて神様の(あるいは宇宙の働き等、何かの)シナリオどおりなんだ、だから任せておけばいいのだ」という大変な大歓喜と大変な解放感があった、と書いています。これは論理的に考えてみるとすごく変なんですよ。全部決まっているということは、ある種拘束感があってもいいはずなのに、大変な解放感がある、でもそれは紛れもなく実感としてはそうだったんだろうな、と私自身の感覚は納得できるんです。」(甲野善紀、『響きあう脳と身体』より)
「半ば規則的で半ば偶然」
この「偶有性」な状態って、まさに即興で起きることです。
即興って、完全に自由だから、たくさんの展開が選択としてあるんだけど、自分で選んだ展開は、選んだ瞬間に正にこれが絶対だってすら思ってしまいます。
そして、最初から最後まで、まるで完全に決まっていたかのように物事が進んでいくと、大成功です。
不確実性のなかで見出せる確実性。
何の根拠もなく、ただ、そこに居るだけで感じる自信と確信
って、一体なんだろうって、いつも魅力に感じます。
これに、恋してるって感じかもしれない
明日も書の前で、ドラムの鷹家剛志さん、狂言の原斗轟さんとご一緒に、素敵な偶有なひと時を過ごしたいと思います。
その前に、、これから書のディスプレイを考えないとです。。
いつも何かに追われてます・・・。
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