宝島への羅針盤たち
今日も
大切な打ち合わせが
ひとつ
終わりました。
考えて
考えて
考え抜いたと思って
たどりつくのは
ひとりでは
考えも及ばなかったり
考えたけど自信なくて避けてしまった
その地点。
我考えたり
思ったり
しっかり
できてこそ
人と
人と
人と
…
人との間に
皆が向かいたいと願う
方向が
生まれる。
そんなことが起きる
この世界は
宝島みたいに
私には感じます。
宝物
探すのも
地図つくるのも
私たちなんだけどね。
そんなの
矛盾してて
素敵です。
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今日も
大切な打ち合わせが
ひとつ
終わりました。
考えて
考えて
考え抜いたと思って
たどりつくのは
ひとりでは
考えも及ばなかったり
考えたけど自信なくて避けてしまった
その地点。
我考えたり
思ったり
しっかり
できてこそ
人と
人と
人と
…
人との間に
皆が向かいたいと願う
方向が
生まれる。
そんなことが起きる
この世界は
宝島みたいに
私には感じます。
宝物
探すのも
地図つくるのも
私たちなんだけどね。
そんなの
矛盾してて
素敵です。
幼いときに住んでいた所の近くに
神社がありました。
そこは横浜金沢区。
朝比奈の切通しの付け根に坐しますような
山の中の神社。
そこは祠が
なぜだか石の急な階段を隔てて2つあったと思います。
幼い私は
その神社がなぜか大好きで
なぜか
そこには
白い着物をはためかせた
女性が
その石段を行き来して
守っているように
感じたものです。
その鳥居にだったかしら
足が三本の烏が守り神として
描かれていることは
その地を離れて
大人になってから
知ったことです。
そこは「くまのじんじゃ」というんだよ
と小さかった私は
母から教えてもらったのだけど
なぜだか「くまのじんじゃ」という響きが
好きだなあと感じたことを覚えています。
いざ鎌倉へ向けての
ライフラインの切通しを守るために
鎌倉幕府が
たしか
熊野神社を
勧請したと
本で読んだ覚えもあります。
近くの海岸
六浦からの
塩の道でもあったと
読んだ覚えもあります。
今日はピンクリボン運動in和歌山 の打ち合わせでした。
今の不景気な時代に
こういった活動をすることは
とても大変なことです。
主催の皆様の
大変さ
ご苦労を
身に染みて感じます。
そして、今の時代だからこそ
「再生」の地、熊野から
生きるために大切なことを発信しなくてはならない
このキャンペーンを熊野から発信しなくてはとの
九鬼宮司の熱い思いも
身に染みて感じます。
このキャンペーン期間中は
熊野本宮のおみくじは
ピンクになるそうです。
こちらは、熊野原人の会の理事長でもあり、
筑波大の乳癌治療の先生でもある、
植野映先生のご提案だそうです。
植野先生は当日、講演もなさります。
ピンクのおみくじがたくさん結ばれた
境内を想像するだけでも
すごいですし
大鳥居がピンクにライトアップされるなんて
前例がないそうで
九鬼宮司のご決断の重みはいかばかりか・・・。
そんなイベントの打ち合わせの前日のこと。
パソコンをいじってたら
でてきた写真があります。
産児文顔把手付土器
山梨から出土した土器。
お母さんの産道から
子どもが顔だけ出して
今まさに
母体から
この世界に出てこようとしている姿にも見えるし
お母さんの懐に包まれて
ほおづえついて
のほほんとしている
子どもの姿にも見えます。
そして、はっと思い出しました。
7月、熊野原人の会、和田川峡谷野人レースにて舞わせて頂いた後に
熊野本宮にて九鬼宮司に初めてお会いしたのですが、
その時に
「スサノオの神様の拝殿は、屋根の形が男性の形であるべきところが、女性の形だ」
と伺いました。
その理由は、
イザナミ(お母さん)の愛情をもらえなかった
スサノオが
心安らかにこの地で坐しますように
と粋な取り計らいをした
先達がいらしたのでは
とのこと。
その時ふと、私は
長野の諏訪の地方にある
石の祠を思い出しました。
祀られた石の上には
繭の真綿が
飾られているそうです。
リンガムの上に
ふんわり柔らかな
お母さんの愛情の象徴としての
胞衣(えな)をかぶせることで
この世界に豊穣と調和を生み出す場が生まれる
きっと縄文時代の人たちの
生きる智慧から生まれた思想なのだと
思いますが・・・
本宮に、土器に、石の祠
この3つの根底からは
共通して
「思いやり」の心
「母なる」心
への憧憬が
溢れ、流れ出しているように感じます。
幼い頃、
朝比奈切通しの
熊野神社で
私が幻想した女性は
所詮、幻想だけど
私が生まれる前から
この日本という地の奥底に
横たわっていた
智慧に触れていたということなのかもしれない。
そんな思いすら
今しています。
その切通しは
夕方4時にもなると
暗~くなります。
暗闇がとっっても怖かった
当時の私でも
その闇は
なんだか懐かしく、
温かく感じたものです。
私にとっての
第2の子宮
だったのかもしれません。
10月3日は
大斎原の大鳥居の下から
私は再び生まれるタイミングを
賜ったのかもしれません。
ピンクリボン運動の願いを結ぶ
人の心と心を結ぶ
人の幸せを結ぶ・・・
そんな役目を背負って
私は
鳥居から
再び生まれ出なくてはいけません。
とても重たい荷物を
背中に感じますが、
あの神社の
幻の女性が
白い着物をふんわり
はためかせて
私を助けてくれるような気がして
なりません。
頑張るです
今日は南高梅も頂いたので
毎日食べて
リフレッシュしますです
久しく、
夢を覚えているということはないのだけど。
今朝、朝ごはんを食べてて
ふっと、思い出しました。
母だったような、イトコのお母さんだったような・・・。
以前、イトコのお母さんから
「使わないから」
といただいた
キラキラひかる
ネックレス。
つけると
気持ちいいから
良くつけてるし
体調の悪い時に
つけると
少し体調よくなるような
キモチになります。
首につけたネックレスをみて
その女の人は
「貴方もそのネックレス
いつか
自分の身内に
あげなさいね」
といいました。
そうなのか、
このネックレスは
私のもの
だけではないのね
と悟って
その夢は終わっちゃったのだけどね。
今日もこのネックレスつけて
外に出ようと思います。
今日も素敵な一日にしたいです。
10/3(日)に
ピンクリボン運動in和歌山2010紀南
に参加させていただきます。
熊野本宮大社の大斎原の大鳥居がピンクにライトアップされます
『この地域では初のピンクリボンイベントのため、
ピンクリボン運動とは何かからスタートいたします。
イベントを機に、乳がんが他人ごとではなくなってきたこと、
早期発見で90%以上が治ることを知っていただこうと考えています。
また、癒しと蘇りの地とされる熊野で互いに励ましあい、
再生するきっかけを作ります。 』
▼詳しくは特設ページをご覧ください。
http://www.geocities.jp/pinkribbon_wakayama/kinan/
ライトアップ当日には熊野リ・ボーン ウォーク、記念講演会と点灯式を行います。
ライトアップイベント会場となる熊野本宮を参加者で歩きます。
※リ・ボーン・・・ピンクリボン運動のシンボル「リボン(ribbon)」と熊野本宮の「再生(reborn)」の二つの意味を込めました。
10/3(日)午後5時50分~点灯式イベント
講演会から会場を大斎原 大鳥居前に移動し、点灯式を行います。紀南地域で第一回目、世界遺産登録&ピンクリボン運動in和歌山5周年の記念すべきライトアップは、千葉の女性グループUSAGIのエネルギッシュな和太鼓演奏と熊野本宮大社 九き家隆宮司のお話で始まります。
現実の世界では
夢を見てても
私には
不幸せなだけ。
現実の世界では
何度も私を追い詰めて
夢までも
脱皮できなかったら
夢は
夢のままなだけ。
夢を現実にするんじゃなくて
夢をバネにして
夢以上の世界が
露わになったら
幸いなんだと思います。
蛇のように
何度も何度も
私を脱皮する
生命力なくては
夢は
宝の持ち腐れ。
どんどん
どんどん
自分を追い詰めると
「幸せな脳」になる。
昨日の「プロフェッショナル 仕事の流儀」で
海老蔵さんが言ってました。
ぐさりと胸を刺される言葉。
でも心地よく視野も拓けた言葉でした。
今日も脱皮しますです 。
。。( • _ • )』。。
でもその前に、
腹ごしらえです。
( • _ • )』
あ、駅間違えて降りちゃった。。。
幼いとき、
幾ら回しても、回しても、
色が揃ったためしがなくて
触ることすらしなくなったまま
大人になってしまいました。
今は、ルービック•キューブみたいな問題を
幾つも手にもって回してます。
途方にくれそうになることもあるけど、
そんな時には
ヘルプの手を
人前に差し出すことにしました。
すると解決の道が整ってゆきます。
それは
私が
大人になったから
できるようになったこと。
大人になるということは
子供の頃の輝いていたおもいでを引き出して
遠きおもひでとして
鬱蒼とした沼地に佇むことじゃない。
大人になるということは
智慧を湛えることができること
智慧を活かすことができること
なんだから。
でも、大人になった私でも
自力でルービック•キューブの
色を揃えること
できないんじゃないかと
思うんだけどね。。。
相変らず
無器用な私なのでした。。
どうしたらいいのかしら?
もつれた糸を解すには。
糸は
ライターとかで
燃やしてしまって
無かったことにしてしまうことに
できるけど
人の心のもつれを燃やせば
逆に
感情が
炎上してしまいそう。
解すには
時の流れと共に
柔らかな姿勢で
快方へ向かって
今よりもっと先へ進むこと
なんだろうな。
たとえ元には戻せないとしても。
以前、
抜けなくなった指輪を
のこぎりで切ってしまうサービスをする団体が新聞に載りました。
でもその後に、のこぎりで切らずとも、
指に石鹸つけてヌルヌルさせれば
大切な指輪は
簡単に抜けるのだ
という情報が寄せられたと
同じ新聞に載りました。
大切なのは
オープンマインド。
独り、壁を作って
ド近眼になってないで
私の周りに潜む
生きる智慧に
アクセスできる
心の余裕と
鳥の目
なんだろうなって
思います。
希望や智慧は
人と人が触れ合う間から
育まれるものように
私には感じるからね。。
昨夜はミュージカル「タン・ビエットの唄」を見に行ってきました。
ベトナム戦争中に、米軍に突然虐殺されてしまった村の生き残りの2人の少女たちの物語。
とても力作な素晴らしい舞台でした。
平和な暮らしをしていた村人たちに突然降ってわいたような人災。
村人たちにとっては、たまたま自分たちの村がベトナムの村だったからでしかない。
戦争は、その時も、その後も、深い傷跡を残します。
人災に一生を翻弄されるのもまた人だという悲しさは、本当に愚かなことです。
戦後65年の今の日本は、平和な時代だといわれますが
この65年間に平和を享受できない人が世界でどれくらいいたのかしら?
そして、この平和な65年を享受できた日本では、なんで年間3万以上の自殺者がいるのかしら?
「戦争」「平和」という分けかたでは、人の闇はとらえることができないなって、感じます。
ミュージカルでは村を出た姉妹が必死でジャングルの中を逃げている時にお姉さんがこんな様な言葉を妹に叫びます
「死にたくないなら、立ちなさい」
劇場の中では心に響く言葉でした。
でも今の時代の中で、日本人の心にこの言葉はどう響くのかしら。
人の心の闇は、更に複雑になっているような気がします。
以前、私の知らない人が、
私のご先祖のルーツを知っていたよと
人から知らされて
驚きました。
沖縄出身とか、東京出身とか・・・
出自が明らかに分かる人は
羨ましいなって思います。
もちろん私も長野で生まれて神奈川で育っだった。
という出自は分かるんだけど
でも長野に落ち着いた前はどこだったのか?
と探りたくなる人たちが
私の肉体に宿っているように感じてます。
この私に血をつなげた人たちの中に、
海を渡って遠くからやってきた人がいるんじゃないかと
シルクロードを思ったり、海を眺めるたびに
幼な心が渦を捲きだしていたけど
今もそれは変わりません。
どこから来たんだろう?
どうやってココまでたどりついたんだろう?
それが、私が
独楽のように
ぐるぐると
舞い続けていることに
繋がっているように
感じてます。
そして、
その独楽の先端は
西へ西へ、
向かっているような心地で
日々生きているように感じてます。
一舞、一舞するごとに
見えない糸の一歩先が
見えるかもしれない
そんな闇の綱渡りのような
淡い期待が
恋心のように
いつも体にまとわりついています。
今年はこの数年密やかに願っていた
西の地で舞わせて頂くことになりました。
熊野本宮大社。
ピンクリボンキャンペーンの中で
奉納させていただきますので
人のためになるよう
大地や天にも喜んでいただけるよう
舞をさせていただきながらも
さらに先へ向かって
身も心も馳せてゆきたいです。
でも乳癌検診も2年以上入っていないから
そろそろ行かないとです。
2年前に検査でD判定がでてしまい、再検査では問題なかったけど
年に一度の定期検査をと言われているのですが・・・
こちらも前に向かってゆかないとね。
女の体は色々と面倒だなって、時に思います・・・。
命の意思って、
純粋に
われ頭脳で考える結果のもの
じゃないんだろうな。
たとえば、
カメレオンが外界の状況に合わせて色を変えられる。
恐竜が環境の変化に合わせてデカクなったり、
大量に種が発生したりしながら、
やがては鳥に落ち着いたりした。
そんな生物の形の変化は
「われ考える」
の賜物じゃないんだろうなって思います。
でもね、
結構人間だって、今を生きている人間だって、同じじゃないかしら。
例えば、夏といえばお化けシーズンですが
お化け
同じ場所にいても
見る人と見ない人、いるけど
見る人っていうのは、その状況(真っ暗とか、陰湿とかお墓とか廃墟とか)にいると
きっと「われ考える」以前に
体がその状況から何かを見てしまったりという内的変化が起きているんじゃないかしら。
「お化けなんて見えない」
という人が優れてるとか
「お化け見えた」
という人が優れてるとか
そんなちっぽけなことを言ってるんじゃなくって・・・。
例えば美しい音楽が演奏されている時だって
そこに何かを「感じる」人と
全然何も「感じない」人って
やっぱりいる。
ジャンルによって、人の好みによって
「感じる」というのは人様々に発するのだろと思います。
だから、これも
どっちが優れているっていうことが問題じゃない。
その力は、必ず一人一人に、多様な形でもたらされている。
だって、命の見えない力が、そうさせてるんだもの。
でもね、その力、明らかに溢れている人と、溢れていない人がいる。
それが「生命力」なのだと思います。
「生命力」ない人に、どう働きかけるのか?
おせっかいかもしれませんが、私個人は、創作の際にそんなこと、真剣に考えてしまいます。
「私の命には何故終りがあるの?
私は、何故この世の不幸せや苦しみと調和できないの?」
これは、私のソロ初作品『月の下、泥花の咲く頃』に寄せて、書いた文章の一部です。
その舞台はひとまず終わりましたが、この命題はたぶん、一生私を突き動かすのだと、感じています。
それが私の「命の力」だから。。。

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