熊野原人の会とのご縁から、
より、熊野のことに感心が深まると同時に、
世の中の出来事に意識を持つようになりました。
今とても感じ入る存在が、「スサノオ」です。
熊野本宮に坐しますのが家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、
スサノヲだといわれています。
もともとは、本宮は、今の位置ではなく、
熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流地点の中洲にあったそうです。
今は「大斎原(おおゆのはら)」といわれている地ですが、
原生林つつまれた地だったようで、
有る意味縄文的な土地だったんじゃないかしら・・・。
神倉神社では「ゴトビキ岩」、
那智大社では「那智の瀧」をお祀りしているけれども、
本宮でもこの中州の森それ自体が、ご神体だったようです。
ここに坐します神様がスサノオの神様だとなったのは、
江戸時代からのようですが、
いわれはともかく、
スサノオという「象徴」にふさわしい場所なのだろうなと感じます。
スサノオは凄まじく荒ぶる神様。
でも、犯罪を犯してしまう人と同じく、
荒ぶる行為の心奥底には、
様々な因果があるのだと感じます。
早くして、お母さん(イザナミ)から切り離され、
母性愛を乞うたら拒絶までされてしまった息子。
母の愛情を知らない息子であるが故の暴挙は
確かにあったのだろうなと、
人の心を重ねてみても感じます。
そして、姉アマテラスは農耕の神。
一説には、アマテラスに対する暴挙は、
農耕の民が山々を切り崩して田地にすることに対して、
木の神スサノヲは怒り狂った故ではないかとのこと。
そんな、あるいみ純真で人間的な弱さや感情の持ち主のスサノオは、
私にはとても親近感を覚えます。
明治になって、
本宮は大洪水で流されました。
その原因は、
なんのことはない、
明治に入ってからの森林伐採のツケだそうです。
「明治22年まで社殿が水害で流されるなどということは
おそらくなかったことと思います。
社殿が流されるほど大水害を引き起こした原因は、
熊野川上流の十津川での明治に入ってからの急激な森林伐採でしょう。
紀伊半島南部を襲った大雨が
十津川の森林伐採後の山々で山津波を引き起こし、
その土砂が川をせき止め、
天然のダムを作り、そのダムが水を貯えた後に絶えかねて決壊。
下流域を押し流し、十津川の村々に壊滅的な打撃を与えながら、
濁流となった熊野川は本宮大斎原の社殿をも呑み込みました。
社殿のほとんどが流出し、森林破壊に対するつけを
払わされた形となりました。」
(熊野信仰の中心地 http://www.mikumano.net/meguri/hongu.html
)
この事実に、深く考えさせられるものがあります。
スサノオだったら、とっても怒り狂ったことでしょう・・・。
自然は、スサノオや、人のように怒りの感情を露にしませんが、
ストレートに「災害と」いう形で
人に直撃してきます。
災害にみまわれて、
命を落としたり、心を痛めるまえに、
人は、常日頃から
自然を思いはかれるだけの、心の豊かさが必要です。
人の愚行は
人の善意が
食い止め止めるしか
手立てはありません。
だからなのではないでしょうか。
日本人は「スサノオ」という、
荒ぶる神の存在を大切に崇めるに至ったのは・・・。
先日お参りにいった大斎原は、
別段神々しくもなく、
とても親近感ある優しい林でした。
人が大切にしさえすれば
自然は、人に幸せと豊穣をもたらすものなのだよと
どこからともなく
声が響いてきたような気がしました。
ちなみに・・・、私が大学時代に一番関心があったのが、
「祭り」と「少年犯罪、企業犯罪」でした。
折りしも、大和銀行の事件に、酒鬼薔薇聖斗の事件、サリン事件など
大きな事件が勃発しました。
社会の闇が揺れ動く中、
私はどのようにこの2つの感心をつなぎ合わせれば良いのか、
小さな頭で途方にくれましたが
今は、舞を仲立ちに、
人の心の闇を和らげてゆけるような活動を
私なりに進めていくことができたらと
小さな胸を膨らませています。
より、熊野のことに感心が深まると同時に、
世の中の出来事に意識を持つようになりました。
今とても感じ入る存在が、「スサノオ」です。
熊野本宮に坐しますのが家都美御子大神(けつみみこのおおかみ)、
スサノヲだといわれています。
もともとは、本宮は、今の位置ではなく、
熊野川・音無川・岩田川の3つの川の合流地点の中洲にあったそうです。
今は「大斎原(おおゆのはら)」といわれている地ですが、
原生林つつまれた地だったようで、
有る意味縄文的な土地だったんじゃないかしら・・・。
神倉神社では「ゴトビキ岩」、
那智大社では「那智の瀧」をお祀りしているけれども、
本宮でもこの中州の森それ自体が、ご神体だったようです。
ここに坐します神様がスサノオの神様だとなったのは、
江戸時代からのようですが、
いわれはともかく、
スサノオという「象徴」にふさわしい場所なのだろうなと感じます。
スサノオは凄まじく荒ぶる神様。
でも、犯罪を犯してしまう人と同じく、
荒ぶる行為の心奥底には、
様々な因果があるのだと感じます。
早くして、お母さん(イザナミ)から切り離され、
母性愛を乞うたら拒絶までされてしまった息子。
母の愛情を知らない息子であるが故の暴挙は
確かにあったのだろうなと、
人の心を重ねてみても感じます。
そして、姉アマテラスは農耕の神。
一説には、アマテラスに対する暴挙は、
農耕の民が山々を切り崩して田地にすることに対して、
木の神スサノヲは怒り狂った故ではないかとのこと。
そんな、あるいみ純真で人間的な弱さや感情の持ち主のスサノオは、
私にはとても親近感を覚えます。
明治になって、
本宮は大洪水で流されました。
その原因は、
なんのことはない、
明治に入ってからの森林伐採のツケだそうです。
「明治22年まで社殿が水害で流されるなどということは
おそらくなかったことと思います。
社殿が流されるほど大水害を引き起こした原因は、
熊野川上流の十津川での明治に入ってからの急激な森林伐採でしょう。
紀伊半島南部を襲った大雨が
十津川の森林伐採後の山々で山津波を引き起こし、
その土砂が川をせき止め、
天然のダムを作り、そのダムが水を貯えた後に絶えかねて決壊。
下流域を押し流し、十津川の村々に壊滅的な打撃を与えながら、
濁流となった熊野川は本宮大斎原の社殿をも呑み込みました。
社殿のほとんどが流出し、森林破壊に対するつけを
払わされた形となりました。」
(熊野信仰の中心地 http://
この事実に、深く考えさせられるものがあります。
スサノオだったら、とっても怒り狂ったことでしょう・・・。
自然は、スサノオや、人のように怒りの感情を露にしませんが、
ストレートに「災害と」いう形で
人に直撃してきます。
災害にみまわれて、
命を落としたり、心を痛めるまえに、
人は、常日頃から
自然を思いはかれるだけの、心の豊かさが必要です。
人の愚行は
人の善意が
食い止め止めるしか
手立てはありません。
だからなのではないでしょうか。
日本人は「スサノオ」という、
荒ぶる神の存在を大切に崇めるに至ったのは・・・。
先日お参りにいった大斎原は、
別段神々しくもなく、
とても親近感ある優しい林でした。
人が大切にしさえすれば
自然は、人に幸せと豊穣をもたらすものなのだよと
どこからともなく
声が響いてきたような気がしました。
ちなみに・・・、私が大学時代に一番関心があったのが、
「祭り」と「少年犯罪、企業犯罪」でした。
折りしも、大和銀行の事件に、酒鬼薔薇聖斗の事件、サリン事件など
大きな事件が勃発しました。
社会の闇が揺れ動く中、
私はどのようにこの2つの感心をつなぎ合わせれば良いのか、
小さな頭で途方にくれましたが
今は、舞を仲立ちに、
人の心の闇を和らげてゆけるような活動を
私なりに進めていくことができたらと
小さな胸を膨らませています。
希望は、自分で作るものなのだなと、感じてます。




