命の意思って、
純粋に
われ頭脳で考える結果のもの
じゃないんだろうな。
たとえば、
カメレオンが外界の状況に合わせて色を変えられる。
恐竜が環境の変化に合わせてデカクなったり、
大量に種が発生したりしながら、
やがては鳥に落ち着いたりした。
そんな生物の形の変化は
「われ考える」
の賜物じゃないんだろうなって思います。
でもね、
結構人間だって、今を生きている人間だって、同じじゃないかしら。
例えば、夏といえばお化けシーズンですが
お化け
同じ場所にいても
見る人と見ない人、いるけど
見る人っていうのは、その状況(真っ暗とか、陰湿とかお墓とか廃墟とか)にいると
きっと「われ考える」以前に
体がその状況から何かを見てしまったりという内的変化が起きているんじゃないかしら。
「お化けなんて見えない」
という人が優れてるとか
「お化け見えた」
という人が優れてるとか
そんなちっぽけなことを言ってるんじゃなくって・・・。
例えば美しい音楽が演奏されている時だって
そこに何かを「感じる」人と
全然何も「感じない」人って
やっぱりいる。
ジャンルによって、人の好みによって
「感じる」というのは人様々に発するのだろと思います。
だから、これも
どっちが優れているっていうことが問題じゃない。
その力は、必ず一人一人に、多様な形でもたらされている。
だって、命の見えない力が、そうさせてるんだもの。
でもね、その力、明らかに溢れている人と、溢れていない人がいる。
それが「生命力」なのだと思います。
「生命力」ない人に、どう働きかけるのか?
おせっかいかもしれませんが、私個人は、創作の際にそんなこと、真剣に考えてしまいます。
「私の命には何故終りがあるの?
私は、何故この世の不幸せや苦しみと調和できないの?」
これは、私のソロ初作品『月の下、泥花の咲く頃』に寄せて、書いた文章の一部です。
その舞台はひとまず終わりましたが、この命題はたぶん、一生私を突き動かすのだと、感じています。
それが私の「命の力」だから。。。




