幼いときに住んでいた所の近くに
神社がありました。
そこは横浜金沢区。
朝比奈の切通しの付け根に坐しますような
山の中の神社。
そこは祠が
なぜだか石の急な階段を隔てて2つあったと思います。
幼い私は
その神社がなぜか大好きで
なぜか
そこには
白い着物をはためかせた
女性が
その石段を行き来して
守っているように
感じたものです。
その鳥居にだったかしら
足が三本の烏が守り神として
描かれていることは
その地を離れて
大人になってから
知ったことです。
そこは「くまのじんじゃ」というんだよ
と小さかった私は
母から教えてもらったのだけど
なぜだか「くまのじんじゃ」という響きが
好きだなあと感じたことを覚えています。
いざ鎌倉へ向けての
ライフラインの切通しを守るために
鎌倉幕府が
たしか
熊野神社を
勧請したと
本で読んだ覚えもあります。
近くの海岸
六浦からの
塩の道でもあったと
読んだ覚えもあります。
今日はピンクリボン運動in和歌山 の打ち合わせでした。
今の不景気な時代に
こういった活動をすることは
とても大変なことです。
主催の皆様の
大変さ
ご苦労を
身に染みて感じます。
そして、今の時代だからこそ
「再生」の地、熊野から
生きるために大切なことを発信しなくてはならない
このキャンペーンを熊野から発信しなくてはとの
九鬼宮司の熱い思いも
身に染みて感じます。
このキャンペーン期間中は
熊野本宮のおみくじは
ピンクになるそうです。
こちらは、熊野原人の会の理事長でもあり、
筑波大の乳癌治療の先生でもある、
植野映先生のご提案だそうです。
植野先生は当日、講演もなさります。
ピンクのおみくじがたくさん結ばれた
境内を想像するだけでも
すごいですし
大鳥居がピンクにライトアップされるなんて
前例がないそうで
九鬼宮司のご決断の重みはいかばかりか・・・。
そんなイベントの打ち合わせの前日のこと。
パソコンをいじってたら
でてきた写真があります。
産児文顔把手付土器
山梨から出土した土器。
お母さんの産道から
子どもが顔だけ出して
今まさに
母体から
この世界に出てこようとしている姿にも見えるし
お母さんの懐に包まれて
ほおづえついて
のほほんとしている
子どもの姿にも見えます。
そして、はっと思い出しました。
7月、熊野原人の会、和田川峡谷野人レースにて舞わせて頂いた後に
熊野本宮にて九鬼宮司に初めてお会いしたのですが、
その時に
「スサノオの神様の拝殿は、屋根の形が男性の形であるべきところが、女性の形だ」
と伺いました。
その理由は、
イザナミ(お母さん)の愛情をもらえなかった
スサノオが
心安らかにこの地で坐しますように
と粋な取り計らいをした
先達がいらしたのでは
とのこと。
その時ふと、私は
長野の諏訪の地方にある
石の祠を思い出しました。
祀られた石の上には
繭の真綿が
飾られているそうです。
リンガムの上に
ふんわり柔らかな
お母さんの愛情の象徴としての
胞衣(えな)をかぶせることで
この世界に豊穣と調和を生み出す場が生まれる
きっと縄文時代の人たちの
生きる智慧から生まれた思想なのだと
思いますが・・・
本宮に、土器に、石の祠
この3つの根底からは
共通して
「思いやり」の心
「母なる」心
への憧憬が
溢れ、流れ出しているように感じます。
幼い頃、
朝比奈切通しの
熊野神社で
私が幻想した女性は
所詮、幻想だけど
私が生まれる前から
この日本という地の奥底に
横たわっていた
智慧に触れていたということなのかもしれない。
そんな思いすら
今しています。
その切通しは
夕方4時にもなると
暗~くなります。
暗闇がとっっても怖かった
当時の私でも
その闇は
なんだか懐かしく、
温かく感じたものです。
私にとっての
第2の子宮
だったのかもしれません。
10月3日は
大斎原の大鳥居の下から
私は再び生まれるタイミングを
賜ったのかもしれません。
ピンクリボン運動の願いを結ぶ
人の心と心を結ぶ
人の幸せを結ぶ・・・
そんな役目を背負って
私は
鳥居から
再び生まれ出なくてはいけません。
とても重たい荷物を
背中に感じますが、
あの神社の
幻の女性が
白い着物をふんわり
はためかせて
私を助けてくれるような気がして
なりません。
頑張るです
今日は南高梅も頂いたので
毎日食べて
リフレッシュしますです




