どうしてだ?!
という驚きが
ひょっこり現われ出る瞬間って
なんか、大事な気がします。
ふっと思い出したんだけど。
長野の御柱祭の写真を見たのは
小学生年少のときただったかしら。
飯田のおじいちゃんの家で
一族集まった宴会な食卓で、
御柱祭の写真ばかりの
アルバムが回ってきました。
木を引っ張ってる
親戚のおじさんたちが写ってたり
木で壊されちゃった
どこかの家の壁が写ってて
皆喜んで見てました。
大人なのに
なんで誰かのおうちの壁とか屋根とか
お祭りのせいで
壊されちゃってるのに
喜んで眺めてるんだか。。
意味不明だし
そのおうちだって
迷惑じゃないかと
幼いながらに
常識頭に並べてみたのに、
おじさんたちに
見事に常識壊されちゃいました。
壁壊れたって
皆でお金出して
直すんだから
いいんだよ。
おんばしらは
死人も出るけど
その家は
村で助け合うんだよ
と。。
常識でガチガチにみえた
親戚のおじさんたちが
当たり前のように
そんなこと
七年に一度してる。
なんでそんなことまでして
祭して
助け合うのか?
こんな
どうしてだ?!
が
いまだに好きだし
惹かれてしまいますし
近づいてしまう。
助け合いって
常識はずれた境地に行くと
湧き上がる
人に備わる
秘めた宝物みたいな
感じすらします。
神話学者ジョーゼブ・キャンベルの本で読んだことがあるのだけど。
ベトナム戦争時、
爆弾落ちる
地獄の中で
負傷した兵士を
身の危険を冒してまで
命懸けで助けた兵士たちに
なぜ助けたのかと聞いたところ
負傷し死にそうな兵士は
自分でもあると
いうような境地にいたと。
命懸けで初めて
命は自分一人のためにあるんじゃないと
気づくのが
愚かでもあり、魅力もある
人間の本性の一面
かもしれないです。




